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濃霧

 思いの外(ほか)早めに起床した午前五時。訳もなく散歩をしていた。四月も下旬に差し掛かるこの時期になってようやく、朝の冷たさを心地よく感じることができる。道順は決まって同じ。自宅から最寄りのコンビニを経由し長い階段を上がって団地を抜ける。緩やかな坂を登ると見晴らしの良い公園が見えてくる。往路は全て上り坂なので登山と形容するほうが相応しいかもしれない。見慣れた道、お決まりの運動靴。寝ている間についた凝りを解(ほぐ)しながら歩を進めていく。

 階段を上がり、途中で振り返ると、家の近くの集落一体を眺めることができる。昨晩降った雨の影響からか、その頭上を大きな霧一枚が覆い被さっている。町が鈍色(にびいろ)の羽毛布団にくるまっていると感じていた幼少期の感性はもうない。山を切り開いて作った住宅地。自然破壊。人間中心主義。歩を進めていく。


 目的の公園に着いた時には太陽もすっかり登っていたが、先の毛布で微かに光っているのを確認できるぐらいであった。見晴らしがいいという触れ込みも、この深い霧ではどう仕様もない。朝霧立ち込める公園のなかに一人ぽつんといると、どこか違う世界に迷い込んでしまったかのような感覚に陥る。いっそのこと帰って来れなくなってしまいたいと思う部分もある。別に特別な感情ではない。誰しもが現実に憂慮し、そこから逃れたいと思う心性の表れとしてこの霧にそれを見出しているだけである。自分だけが悲劇のヒロインだという妄想癖はいい加減止(や)めたほうがいい。

 〈別世界〉を少々散策していると、路肩に止まっている大きな木材を積んだトラックを確認した。それぞれの木材には何かの印が書かれている。素人が立ち入れない、木を送る者とそれを使うものだけが知りうる暗号(コード)に、何か物言えぬ疎外感を感じた。

 しばらくすると、トラックが動き出した。舗装が行き届いていない道をガタガタと音を立てながら進む荷台の上で、木材たちがひしめき合って揺れていた。満員電車に似た何かを見てとった。彼らもまた、目的の場所で自らの役目を果たすのだろう。


 乗り損ねてしまった。


 帰路に着く頃には霧も立ち消え、柔らかな日差しとひんやりとした風が迎え入れてくれた。コンビニで買ったファイブミニとマスカットゼリーを口にし、また始まる今日を静かに待っている。


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