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【夏の思い出】花火を見ながらクリスマスのことを考えてみる

気がついたら近所の小学校の塀の向こう側から子供たちがギャーギャーと騒ぐ声が聞こえている。なんて騒がしい!と思ったのと同時に、新学期が始まったのだと納得した。

今年も夏はあっという間に過ぎてゆく。

8月中は風邪をこじらせていたこともあり、くしゃみと鼻水と熱と倦怠感に全部持っていかれて思い出らしい思い出はない。まるで記憶喪失だったかのように、すっぽりと8月後半までの記憶が抜け落ちている。

そして9月。今までかんかん照りだった道に影が差し始め、徐々に太陽が傾き始めていることを実感する。気温は相変わらず高いが、刺すように痛かった鋭い日差しが少し和らいだ気がする。季節は確実に移り変わっているのだ。


そういえばこの夏、知り合い家族と一緒にカンヌで花火を見たことを思い出す。暑さの余韻が残る夕暮れ時、まったりとアペロを楽しんでいる時に子供たちから「日本にもクリスマスはあるの?」と質問をされた。

クリスマスなんてまだだいぶん先のことだし、日本について聞かれることが随分と久しぶりだったので一瞬何をどう説明したらいいのか戸惑ったが、「フランスでハロウィンをやるのと同じように、宗教や歴史など関係なく日本でもクリスマスをするのよ」と言ったら親を含めた全員がものすごく納得した表情をしてくれた。

ふと、幼い頃に祖母が通っていたお寺でクリスマスパーティーをやっていたのを思い出し、お寺にクリスマスの飾り付けをしたりケーキを用意したりするお坊さんの様子を思い出して、なんだか可笑しくなってきた。

キリスト生誕の日として祝われるクリスマスを、東の果ての小さな島国では神も仏も八百万の神たちも一緒くたにごちゃ混ぜにして楽しいお祝いの日にしてしまっている。生まれたのがどこの誰だって構わない。チキンとケーキが食べられてプレゼントまでもらえる素敵な日としてクリスマスを祝うことにした日本人。

もちろん宗教的かつ文化的背景は無いし強制でもない。祝いたい人だけが祝えばいい、そんなゆるい習慣なのだ。


真夏のカンヌの海辺にて、やたら至近距離から発射される火薬玉の爆音が炸裂するきれいな爆発を眺めながらクリスマスのことを考えてみたが、うまくイメージが膨らまない。

日が暮れて夜になってもそれほど気温が下がらない今はまだ夏なのだ。目の前では夏の風物詩である花火がドッカンドッカンと打ち上がっている。寒い冬のイベントのことなんて考えていられない。

ハロウィンやサンクスギビングだってまだ先のことなのに。

想像よりもかなりの至近距離
モクモクし過ぎて花火が霞んで見える


ハロウィンからの繋がりで、夫が以前ウチの祖母の何回忌かの法要でお寺さんへ行った時のことを思い出して話し始めた。

法要後のお話で住職さんが、本日はお祖母様もいらっしゃって、的なことを言ったのがすごく印象的だったと言う。

その話を聞いた知り合いの男性はびっくりした表情で、君たちはファントムを真剣に信じているのか?!と聞いてきた。

まさか!

ファントムなんて私は信じていない。

祖母のファントムがいらっしゃったのではなく、その想いや気配、思い出や精神がそこにあったということ。

ファントムはどちらかというと見えなければ存在しないも同然のものだが、想いや気配は誰の目にも決して見えはしないが存在する。

日本人は目には見えないけどそこにあるものを信じている、と言いかけた瞬間に電話が鳴ったのでそれ以上会話は続かなかった。


確かに非科学的だと分かっていても、私は目に見えないものの存在を無意識的に信じている。

今の子たちがどうだかは分からないけど、昭和生まれの私たちは魂とか生まれ変わりとか、半信半疑ではあるがなんとなく信じている節がある。

それは小さな頃から年配者たちにそう言い聞かされてきたこともあるし、マンガ日本昔話のようなテレビアニメや絵本や本で見聞きしたことが現実と相まって潜在意識の中に残っているからかもしれない。

お化けや幽霊は明らかに作り話だと思っているが、念や気配や想いや魂などは何となく信じているし、そういう目に見えないものにすがって心の安定を保っている部分もある。


◇◇◇


昼寝から目覚めて何をすることもなくダラダラと花火を見に行った日のことを思い返す午後。突然辺りに不穏な空気が流れ込み、光が奪われ一気に暗くなった。

空に厚く覆い被さった雲の奥からゴロゴロとお腹に響く音がする。

気持ちよく晴れた夏だった世界が素早く一変した。犬が不安そうに尻尾を垂らしてこちらを見ている。私も身動きが取れない。雷は苦手なのだ。


小一時間ほどの激しい夕立の後、灰色の雲が引いた空はかわいい薄水色をしていた。

午後7時。辺りはまだ明るい。

犬の散歩で外へ出ると柔らかい風がそっと顔を撫でた。外へ出てほんの数歩歩いたところで繋いでいたリードがピンと張った。振り返ると犬が道の真ん中で行儀良くお座りをしていた。鼻の先を空へ突き上げて流れる風の匂いを嗅いでいる。


夕立後の冷えた風が気持ちいい、と思うだけで犬のリードを引いてサッサと立ち去って構わないシチュエーションだ。

だけど私はすぐには歩き出さない。犬が風の匂いに何かを感じ取っている。わずかだが私も何かを感じていた。

これは何だろう?

記憶の奥から似た体験を探り出す。そしてそれが何だったのかを思い出そうとする。

大袈裟なことではない。たった数秒立ち止まって考えてみるだけのこと。

そして季節が移り変わろうとしていることを確信する。

日中はまだ暑くて夏そのものだけど、確かにそして着実に秋は迫ってきている。あと何回か寝て起きたら、そこはもうすっかりと秋に染まっていることだろう。

ある日の夕焼け
展望台あるある=ゴミが散らかりがち

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