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自分なりの決着

先日、元旦那が置いていった私と息子と娘のあれこれの処分に取り掛かることにした。普段の仕事の日に片付ける体力は残ってない上に、まだまだ右手首が痛くて気力がなかった。でも玄関にドサドサおかれた荷物を見るたびに大きなため息がでる。これではいかん!今日は夕方にお店に行く予定だから、それまでの間集中して捨てるぞ!
と箱を開けたら、子供達の保育園の頃の作品やら、写真やら・・なんとエネルギーがいることか。まーしかし、本人たちは「いらない」って言うので、ほとんど捨てた。あーしんど。それに腕が痛い。でもまだあと2箱ある。次は私の写真や賞状かぁというところでサンドイッチを作る時間になったので、車でビューンとお店に行った。

サンドイッチを作りながら、スタッフたちに「自分自身の子供の頃の写真とか卒業証書とかどうしてる?」と聞いたらみんな「実家に置いてる」だそう。
私の場合は実家がなくなるときに慌てて取りに行ったから、その箱を持って転々として今、処分することになったけど、誰もがいつかなんとかしないとね。

そういう風に、なんとかしないとダメだけど、そのままにしている「物事」のことを、忘れているとか、見て見ないふりしているとか、気になるけど取りかかれないとか、全く気にならないとか、みんなそんな感じなのかな?
でもそういうのって運気が落ちそう!だって見るだけでなんとも言えないため息が出るもん。ノスタルジックとかそういうの。
捨てるとバチがあたるとかではなくて、感謝して処分して今の自分を生きることの方が断然いいような気がする。
見て見ないふりして一生が終わってしまうより、心から身軽に自由に生きる方が断然いい。自分なりの決着つけていこうぜ。(と自分に言ってる)

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