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迷子。

アラサーだ!って騒げるうちは良かった。

25歳になるね〜って時に、私達もアラサーだねってお酒を飲みながら語ってたけど、本当に30になると、アラサーどころかちゃんと30になって、初めて気づく。

25くらいでアラサーって言うんじゃねえ。私達も年取ったよね、なんて簡単に言うなと。こちとら、もう更に5年の年月を重ねてるんだぞって。

そう、この5年がなかなか重いのだ。何をするにしても。

とは言いつつも、年齢を重ねることに対して特段マイナスな感覚も無い。

ただ、確実に感覚が変わっていくのを感じていて、それは年齢のせいとかではなく自分のせいで。

ご時世柄ということもあるが、このくらいの年齢ってどうしても友人たちと疎遠になりがちな時期な気がする。おそらく人生に色んな差が出てくる時期でもあり、それぞれの人生で色んな岐路にたっていることもあり、旧友同士で集まるどころではないというのが本音な気がする。

でもやっぱりこれだけ、人とあまり関わらない生活が続くとどうしても誰かに会いたくなってしまうもので、逆に、こんなご時世だったから会えた人もいる。

久しぶりの再会は嬉しいけれど、なんだか自分に足りないものをたくさん教えてくれる。

前回、顔を合わせてから、きっと自分は何も変わっていないはずなのに、友人たちに会わない期間におきた変化がめざましすぎて。

なんて中途半端なんだろうと自分を見つめるきっかけにもなる。

自分がどうなりたいのかが全然わからない。仕事が好きなのか、嫌いなのか。何が好きで、何が嫌いなのか。休みの日に、びっくりするくらい何にもしなくて、最近は勉強と呼べるものを何もしていなくて。日々、ただただ時間が過ぎていくのを待っているだけのような生き方に迷いが生じる。

幸せとはなんなのか、と考える。

お金を稼ぐことなのか。とくかく我慢をしないことなのか。美味しいものを食べることなのか。たっぷり眠ることなのか。

一人飲みが大好きな私は、一人で入ったお店でたまにある「あ、あの人、一人だ。かわいそう。私達リア充だね」的な視線を投げてくる人の存在が一定数いるのはわかる。

若い客層のお店だと特に、露骨にオヒトリサマって寂しいよねとか私なら一人じゃ無理〜とかこっちに聞こえるくらいの(ってのをわかった上での)小声で言ってくる人もいる。

だけど、そんな視線を感じてもこの時の私は最高に幸せなのだ。

一人でやりたいことをやって、そのお金も自分で稼いだもので、誰にも依存せずに好きな時間を過ごせるのは幸せだ。

だけど、やっぱり何か物足りないのはきっと自分に自信がないからなんだろう。

だけど、誰に憧れているわけでもないし、誰のようになりたいとも思えないし。

じゃあ、一体、何に負けた気がしているのか。何に物足りなさを感じているのか。それはやっぱり過去の自分なのかもしれなくて。

好きな人がいて振り向いてもらいたくて、いつもより服装に気を遣ってみたりとか。いいなって思う服があって、やっぱりかっこよく着たいからとささやかな抵抗だけどダイエットしてみたりとか。憧れのキャンパスライフのための受験勉強とか。県大会出場のための朝練や夜の自主練とか。環境を変えたくて行った転職活動とか。一人旅をしたくて貯めたバイト代とか。資格試験のための勉強とか。

なんていうか、そういうあと一歩先に進むための行動が、今、本当にできていない。怖い、怖い。なりたい姿もやりたいことも無くて、何を頑張ればいいのかよくわからない。

そのくせ、劣等感だけはあって。

だからこそ何に対して頑張れば、この負の感情が消えるのかがわからなくて。

ぐるぐるぐると同じことを繰り返し考え、じゃあ、どうしたら良いのか。

どこにいけば理想の自分に会えるのか。何にもわからない。

なりたいことややりたいことを列挙してみようかと思ったけれど、筆は進まない。驚くくらいに。アウトプットが恐ろしいくらいに苦手になっている。きっと考えがない。自分の意思とか考えとか、何も無い。

何が好きなんだっけ、私。

どうなりたくて今に至ったんだっけ。

たぶん、目標として描いていたものがある程度叶ってしまった今、よくわからなくなった。それなりにやりたいとこやってきたはずなのに、この焦燥感や劣等感は何なんだろうか。

頑張るってなんだっけ。

何回考えてもよくわからないから、って結局、だらだらYou Tubeを見て時間を使ってしまったりする。そうしてまた何かから逃げている。

基本的には寝れば忘れるタイプの人間だけど、このもやもやに関してはここ最近ずっと続く。









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