フラッシュバックの意味を再考する
いつまでも受けた被害のことを書き続けるのもな、、と思いましたが、たぶん大切なことなので、書き残すことにしました。
(心配な方は、読まずにお願いしますね)
心が割れた音を覚えている、と思ったけれど、あれは頭蓋骨がずれた音かもしれない。「ミシッ」と「パキッ」の中間のようで、陶器の割れる音階と似ている。
完全に心が割れた12歳のあの午後を覚えている。
父よりも母よりも大きな身体となった兄から、数時間にわたる暴行を受けた。母親は、兄の傍らにいた。兄が靴を履いた足で蹴ろうとした時、一度コントロールをミスしたのか、母に軽くあたった。
兄は、「お前のせいでこうなった、お母さんに土下座して謝れ。」と命じ、そうしなけれはもっと殴られると思い、理不尽さと悔しさを飲み込んで、言われるままにした。その私の頭を、彼は土足で踏みつけにした。母親はずっとそこにいた。
家の中で始まり、ようやく暴力がやんだ時には、庭だった。ボロきれのようになった私を背に、二人は家の中へ入っていった。後ろ姿を覚えている。乱れた服装と汚れた身体でふらふらと自動車道に出て、幽霊のように歩いていると、向かいから母親の車が見えた。こちらに気付くと、笑顔で手を振り、走り去った。助手席に座る兄は、ニヤニヤと笑っていた。
ここは余談:
(彼を分析することになんの意味もないけれど、ずいぶんわかりやすいエディプスコンプレックスとミソジニーのハイブリッドだと思う。母親と私の愛着(無いのに)に嫉妬し、破壊して確証を得たい、母親を自分だけのものにしたいというのと、父親が母親にふるったような暴力(実際にはもっと酷い)を私の体を使って実践しながら、「お前は女だからいいよな、嫁に行けばそれだけでいいんだから」と頻繁に言った。父親を嫌いながら、同時に、女(母)を暴力で支配することに憧れていたのだろう。書いていて吐き気がしてきましたよ。綺麗事言ってくる人には、「家族ガチャはずれ」くらい言わせて下さいよ、と言いたくなる。)
余談が長くなりましたが、、、
この場面は、解離性健忘で色々な記憶をなくした私に、たびたびフラッシュバックやパニックとともに戻ってきた。この事象を、「発作」で「異常事態」だと思っていたけれど、今思い返すと、全く逆の理解になる。
これは、感情に蓋をした私への、自分の痛み、特に心の痛みを思い出すようにという、メッセージだったのでは、という仮説。
耐え難い痛みとつらさを体験しパニックに陥るのはむしろ正常な反応で、それを無いものとし何も感じなくなって他人の為に顔だけで笑っている方が、よっぽど「異常事態」だと、今は思う。
フラッシュバックは「困り事」で「邪魔者」だと思っていたけれど、本当は、私自身を思い出してまた繋がろうとする、希望の部分だったような気がしてきている。嘘の無い私が、私自身と繋がろうとして差し伸べた手だったのかな、と。その都度、準備ができていなくて、「悪いもの」としてしまったけれど。
今思い出しても、専門家の助けなしでは、克服できなかったと思う。まず、フラッシュバックだけでも圧倒的で、ただ混乱するしかなかった。
割れた心は、金継ぎのように修復されたように思う。壊れた痕跡はあるけれど、機能するようになった。心って、(一応)なおるんだなあ、という感想。一度も壊れない方が良かったけれど。
痛いのは嫌だしつらいのも嫌だけれど、忘れてはいけない痛みやつらさはあって、自分とずっと寄り添うことで、最終的に今の私が痛くならないようにするしかないのかな、と。痛みやつらさを封じ込めたり無理やり忘れようとすると、今の私がずっと痛いままになってしまう、という教訓。
(本音を言うと、どちらも選ばなくていい人生が良かった)