7ヵ国50職場を経験した話
これだけやってれば当たり前ですが、即日で新しい職場に慣れることができます。特に私の主にやってきたホスピタリティの業種では即戦力が大事なのですぐ慣れることは必要なことでもあります。
ホスピタリティは英語でサービス業全般のことで、グーグル翻訳したら「おもてなし」と出ました。
私はオーストラリアから本格的にキッチンの仕事を始めました。服屋でも働いたけどキッチンのがおもしろく感じたのです。調理学校を出てないので、最初は皿洗いからやりました。後になって、始めたのがオーストラリアでよかったなあと思うようになりました。
オーストラリアはホスピタリティの専門学校が沢山あり、一般の人たちもサービス業は大体バイトで経験しているし、移民でできた国なのでそれぞれの国のレストランが山ほどあり、割と本当の味が楽しめるのです。私がいたメルボルンにはギリシャ以外で1番デカいと言われるギリシャコミュニティがありました。
それらがなぜ良いかというと、食文化の歴史ある国からの移民たちによって広められたオーストラリアの食文化はもはやそのレベルであって、オーストラリア人はすでに食と文化に関する知識と常識を持ち合わせているからです。
日本やイタリアなど食文化の歴史が長い国にいると気づきにくいですが、食文化の発展してない国の国民はそういった常識や知識が無いので、ますます発展しにくいです。
そもそも食文化が薄いのは食に興味がないからです。歴史的に興味を持つ必要がなかったのかもしれません。そういう国で料理を始めていたらこんなに学ぶことはできなかったと思います。
オーストラリアで始めてプロの料理人として日本や他国でもお店を出して成功している知り合いは多くいます。バリスタは特にメルボルンでコーヒー作ってたというとグンと信頼度がアップします。
日本人に人気のフランスは長年のプロの料理人の方が大勢おられます。でもフランス人のパティシエの友達はフランスの労働環境がひどいと言って国外に出る人が多いです。歴史がある国は今でも古風なやり方が残りがちなようです。
私はそこそこの高級レストランで働けるレベルになり、そのレストランでの最初の仕事が元大統領の飼い犬用の牛フィレステーキを焼くことでした。いろんな意味でこの職場が忘れられないものになりました。
どの職種でも本当に仕事ができる人はいつも穏やかで、周りが見えています。すぐ怒る人は視野が狭く自分の何かしらの欠点を補うために人に強く当たるのだと思います。自分の知ってる知識が十分だと思い込んでる人も成長できません。私は知識は無限だと思います。
日本でアパレル販売員をしてた時に、上の人にあんたはなんでぼーっとしてんのにそんなに売れるの?って言われたのをきっかけにメニエール症候群になりました。頑張ってた分結構ショックを受けたみたいです。
メニエール症候群は三半規管のバランスが崩れてめまいが止まらなくなるやつです。仕事辞めたら治りました。その後、ちょうど繁忙期だった不動産屋でバイトして信じられないくらいいい人たちと一緒に働くことができました。
ドイツに来てからまためまいがして、またかと思って病院行ったら首が凝りすぎて血液が通ってなかっただけでした。ココロはだいぶ強くなったみたいです。
多種多様でインターナショナルな職場をいろいろ経験した結果、人のいい所をすぐ見つけられるようにもなりました。チームでその日の仕事を全うするのには、個々の特性を活かして仕事分担するのが1番効率がいいからです。
私は生きるためのお金を稼ぐのに働いてるだけで、仕事のために生きているわけではありません。なのでせっかくなら多くの職種を経験してみたいなあと昔から考えていました。
生き延びることだけ考えて生きれるのが私の理想であり、それが生き物だと思いますけど、残念ながら誰かがお金を発明したのでお金がないと生きていけないという時代には抗えませんからね。
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では、いい1日をお過ごし下さい。
Mia
読んでいただいてありがとうございます!コロナのロックダウンからギリギリ食べれる生活なのでサポートは私の延命に繋がります。よろしくお願いいたします!