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SNSでも私にとっては大切な居場所

私にはいろんな媒体(主にSNS)にいくつか居場所がある。それはこのnoteをはじめ、Xやインスタなどに散らばっている。複数あるので定住することは少ない。気が向いた時にふらっと立ち寄っては利用するくらいが私にとってはちょうどいいバランスだ。長いところでは10年程在籍している場所もあって今でもいいねなど絡んでくれる人もいる。SNSといえど誰かの人生の経過を見ることができたりすることもあり、すごいことだと思っている。



高校生の時に一度だけ一緒に遊んだことのあるフォロワーさんが気付くと結婚していた。実際に子供を産んでいた人もいる。失恋してしばらく姿を消していた人が立ち直って、新しい彼女とツーリングしてきたという画像を載せていた。一方で失恋からまだ立ち直ることができず、他の趣味に精を出している人もいる。人それぞれだ。だけどわずかな情報からでもこの人はこの人なりに一生懸命生きているのだと感じて、私は「元気そうで良かった」と勝手にほっとする。話さない時があってもその人たちがそのSNSにいるということだけでホーム感のようなものがあるのだから不思議だ。

私は学生時代にいじめられていたり、クラスになじめなかった経験があるので同窓会に呼ばれない存在になってしまっている。きっと元クラスメイト達はやっぱり一緒にいて盛り上がれるメンバーを集めたいのだと思う。もしくは私が来たくないのだろうと思って気を使ってくれているのかもしれない。そして私にとってはその気遣いはありがたい。仲のいい人がいないのに誘われるのは辛かった過去を思い出したりして辛くなることもあるからだ。




この前久しぶりに顔を出し、メッセージを発したSNSがあった。「私のことを覚えてくれている人いる?」と呼び掛けたところ、数人の人が「もちろん覚えてるよ。またよろしくね」など返信をくれた。とても嬉しかった。それほど深いつながりでなくても自分を知っている人がいる場所というだけでこんなに嬉しい気持ちが沸きあがってくる。



その数々のSNSでの居場所は私に同級生のような存在を与えてくれたように感じている。少し話さない時期ができた人でもどうしているのか遠くから見て、勝手に感慨深くなったりもする。たまには「誕生日おめでとう」などとタイミングがあった時などに声をかけることもある。つかず離れずという距離感がちょうどいいとよく言われるが、きっとこれくらいが私には楽なんだろうと思っている。希薄だとよく表現されるネットのつながりでも、私のような救われる存在もいるのだ。

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