見出し画像

欲望は「他人の真似」からしか生まれない。ルネ・ジラールの模倣(ミメーシス)理論

親や先生や上司から認められて、怒られないようにする。友達に一目置かれて、なおかつ嫌われないようにする。それが行動の基準になってしまうと「自分は本当は何を望んでいるのか?」がわからなくなるというのはよくある話。そういうとき、他人の評価ではなく、自分が満足するかどうかで選ぶ練習をすることが大事……というアドバイスをしがちだ。他人軸ではなく、自分軸で生きる、だとか。

しかし、どんな欲望でもそれは実のところ「他人の欲望を真似しているだけに過ぎない」と言われたら、あなたはどう思うだろう?

私たちが欲しがるものは模倣ミメーシスによるものであり、内在するものではない。そう説くのはフランス人の思想家、ルネ・ジラールだ。「社会科学の新しいダーウィン」と呼ばれた彼は、渡米して1980年代から1990年代までスタンフォード大学の教授をつとめていた。

ジラールの教え子には、ピーター・ティールがいる。イーロン・マスクと共にPayPalを設立した起業家だ。Facebookの初めての外部投資家としても知られている。彼はスタンフォード在学中にジラールの元で学んでいた。宿敵だったはずのイーロン・マスクと手を組むと決意したのは、ジラールの模倣理論を学んだからだった。誕生したばかりのFacebookに可能性を見出したのも、そのサービスが「模倣の欲望」を中心に構築されていると見抜いたから。このとき投資した50万ドルは、10億ドルにまで成長した。

ルネ・ジラールの著書は日本語訳も多く出版されているけれど、読みこなすのにはなかなか骨が折れそう。模倣理論については『文化の起源 人類と十字架』を読むと良さそうだけど、読み始めるのを躊躇っている。

そこで、ルーク・バージス著の『欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア』を読むことにした。ルーク・バージスは『ビジネスウィーク』の「25歳未満の起業家トップ25人」に選出された起業家だ。しかしその業績は常に順調だったわけではない。2008年にはバイアウトに失敗し、倒産の危機に直面した。窮地に立たされた彼が感じていたのは絶望ではなく、なぜか安堵と解放感だった。金銭的な自由と、それに伴う名声。それが自分の願望なのだと走り続けてきたのに、そうではなかったのだろうか?この経験から彼は自身の欲望と向き合うようになり、ルネ・ジラールの模倣ミメーシス理論と出会った。

ここから紹介するのは、ルーク・バージス『欲望の見つけ方』から学んだ模倣理論のさわりについてだ。

マズローの欲求階層は有名だ。土台にあるのは生理的欲求、続いて安全欲求、親和欲求、承認欲求、自己実現欲求と、ピラミッド状に欲求は積み上がっていく。土台が満たされない限り、その上に載る欲求は生まれない。でもジラールの場合、欲望の世界に明確な階層はないと考える。生理的欲求や安全欲求は「欲求(needs)」であり、「欲望(desire)」と区別する。欲求(needs)には、模倣は関係ない。喉が渇いたら水が飲みたい。誰かが美味しそうに水を飲む手本は見せてくれなくていい。けれど、生理的欲求と安全欲求が満たされたあとの欲望(desire)はそうじゃない。誰かの真似から始まり、爆発的に広がる。順を追って高尚な願望になっていくわけじゃない。

欲望の元となる「モデル」には2種類がある。自分の世界の外側にいるモデルと、内側にいるモデルだ。自分の世界の外側にいるモデルは「セレブの国(Celebristan)」に住んでいる。面と向かって競争することは絶対にない、憧れの存在。すでに亡くなっている偉人や、社会的地位が高く直接会えるとは思えないような人がこれに当たる。

一方で、自分と同じ世界にいるモデルは「一年生の国(Freshmanistan)」の住人だ。身近な友人や同級生。自分と同列に感じている人たち。お互いに影響し合い模倣し合っている。でも、そのことには気づかない。いや、認めたくない。たとえば、久しぶりに会った大学の同級生が「今度昇進するんだ」と言う。「すごいね!」と答えたけれど、なんだかモヤモヤとする。同じ大学を出ているのに何でそんなに待遇が違うの?自分だって頑張ってるのに……。このとき、友達は意識しないままに欲望のモデルとなったのだ。彼が引越をすると言えば、自分も引越を考え始める。彼がゴールドカードに切り替えたら、自分もそうしようとする。または逆に、鏡写しのように反対の行動を取ろうとする。彼がテスラを買ったら、自分はフォードを買う。そして、路上でテスラを見掛けるたびに「流行を追うだけのおつむの軽いヤツらめ」とあざ笑う。

誰かの欲望を真似することが悪いわけじゃないし、誰かの真似をやめることがゴールじゃない。人間は真似る力があるからこそ、文化や技術を発展させてきた。大切なのは、誰かの真似から生まれて来た欲望が、自分にとって「薄い欲望」なのか「濃い欲望」なのかに気づくことだ。

薄い欲望は衝動的だ。欲しくて欲しくてたまらなくなるけど、手に入れても満足はできない。もっともっとと、さらに刺激的なものを求め続ける。一方で濃い欲望は、じっくり積み上げていくことに喜びを感じられる。若いうちは薄い欲望に振り回されやすく、年を取るほど濃い欲望を選べるようになる……なんて思われがちだけれど、そういうわけでもない。「定年退職したら趣味に打ち込もう」という欲望があるとする。長く願い続けていたからそれが濃い欲望だと思い込みがちだが、実際に定年を迎えてやってみたら思ったほど満足しない。それよりも「家族と長く時間を過ごす」ほうが濃い欲望だったのだと、後から気づくことになるかもしれない。

どうやったら自分の濃い欲望がわかるのか?ルーク・バージスはこんな方法を提案している。時間をかけて友人や知人に「人生でもっとも満たされた経験は何か?」を尋ねること。そして自分もそんな経験を相手に語ること。満たされた経験の物語には、3つの要件がある。

1 行動であること。受動的に経験したことではなく、あなたが具体的に行動して、あなたが主役でなければならない。
2 自分でうまくやったと思っていること。ほかの誰でも無く自分で評価して、非常にうまくやったと思えることでなければならない。
3 充足感をもたらすこと。翌朝になっても満足感を味わえるもので、今でも感じられるもの。考えるだけでその一部がよみがえるものだ。

ルーク・バージス『欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア』より抜粋

さて、あなたの「濃い欲望」は何だろうか?あなたの「人生でもっとも満たされた経験」とは、どんな出来事だっただろうか?

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

いつもありがとうございます。 読んで下さることが、励みになっています。