「わかる」と「伝わる」の間で「感情」を描く
どうもこんにちは、Studio ZOONの村松です。
前回のnoteが、編集部の後輩の質問に答えた内容をそのまま書いただけでサクッと1本記事ができたので、それに味を占めてMondに登録して質問の募集をしていました。
「いや〜、待てど暮らせど質問こないな〜」とか思ってたんですけどログインできてなかっただけで、開いてみたらたくさん質問が来ていました。すいません、ありがとうございます!そして、その中にこんな質問がありました。
なるほどです。新人作家さんからこのような悩みを聞いたことがありますし、似た悩みを持ってらっしゃる方も多いと思います。
例によって、別に答えを持っているわけではないですが、この質問者の方が自分の担当の作家さんだと想定して、こういう質問された時に話しそうなことをつらつらと書いていきます(実際はその方の原稿見ながら質問しつつ話していくと思いますが)。
「わかる」物語と「伝わる」物語
というわけで、いきなりですが簡単なプロットを用意しました。以下のシーンをテキストに感情表現について一緒に考えてみましょう。
これだけだと「マザーグースか!」ってくらい唐突ですね。なので、なぜ妻はこのような行動に走ったのか、ディテールを詰めつつ感情を追ってみましょう。まずは1つのストーリーを作ってみました。
はい、どうでしょう?妻の行動にどのような背景と理由があったのかが明示されているので、「妻がなんでこのような行動に走ったか」は「わかります」ね。
ただ妻と夫がどんな人間か、というのは今ひとつ「伝わってきません」ね。どことなくテンプレっぽい。そして、この夫婦が思っていること感じていることがセリフ以外には伝わってきません。わかりやすいけど、安っぽい。
では、違う方向でもう一つストーリーを作ってみましょう。
はい、こっちはどうでしょう?朝からエプロンつけて調理する姿、掃除の行き届いたキッチン、朝から品数の多い朝食など、奥さんのかなりの完璧主義ぶりが伺えます。ガラスコップで牛乳飲むと後で洗うのが面倒ですが、見た目を優先しているのでしょう。奥さんは専業主婦に見えますが、夫の方は忙しいサラリーマンなのでしょうか、朝も早くから経済ニュースに目を通していて、立派な朝食にも目もくれません。何が原因だったのかはわかりませんが、妻の方は何らかの限界が近づいてきていて夫はそこに無自覚だったようです。妻は口では「その食べ方が嫌だった」と言っていますが、もちろんそれだけが動機だったわけではないでしょう。この二人の関係性の積み重ねの果ての行動だったのだと思われます。
背景も理由も明示はされていないため、結局のところなんでそんな行動に出たのか「わかりません」が、なんとなく納得感があるし夫婦の人となりが「伝わってきます」ね。
しかし、例えばこれがTVドラマのワンシーンだった場合、かなり集中して観ていないとわからなそうです。下手するとスマホ見ている隙に夫が刺されていて「え?今、何あった?」「なんか、目玉焼きの食べ方が気に入らなかったみたいよ?」みたいなことが起こりそう。伝わるけれど、読解力がいる。
作家さんと編集者は、この「わかる/安っぽい」「伝わる/読解力がいる」というトレードオフの関係にある2軸の間で、最良の表現を探して日々 試行錯誤しています。そして、おそらくですが、質問者さんはストーリー①の「わかる」アプローチに寄りすぎているんだと思われます(作品見てないんでなんとも言えないんですが)。
「感情がない」「情緒がない」と評した編集者はおそらく「描いてあることはわかるんだけど、伝わってこないんだよな〜」と思ったのではないかと。じゃあ「伝わる」アプローチに寄せればいいのね、というとその通りなんですが、そのために「伝わる」アプローチの根本にある考え方について考えてみましょう。
「わかる」はサマリ、「伝わる」はディテール
そもそもの話、人はどういう時に「わかる」ことができるのか?
僕は「シンプルに整理されている」時だと思います。
人は相手に物事を伝える時、わかってもらうために出来るだけシンプルに整理して語ろうとします。プレゼンの時にちゃんとサマリー作って挑むみたいに。そして、その手法で人間の行動について語ろうとすると、その行動をとることに対して納得がいく理由が必要になってきます。
上記のストーリー①を例に引くと「妻は夫の裏切りの証拠を見たから刺した」というような感じです。基本的には1つの行動に1つの理由、もしくは「更に目玉焼きを貶されて最後のスイッチが入った」みたいに2つの理由で合わせ技一本。行動と理由が等式で結びついている。
しかし、それはわかりやすく物事を語るために都合上そうしているだけであって、実際の人間はそうではない。誰でも「どうしてあんなことしたの?」と問われて返答に困った経験があると思います。その場で適当にそれらしいことを答えてみるのだが、別に自分自身がそれを理由だと思ってない。ただそう言わないと相手が「わからない」だろうから、場を収めるためにそう答える、みたいな。ともかく、人間はそんなシンプルにできてない。
「わかる」だけの物語がなぜ「安っぽい」のかというと、読んだ人が無意識に「人間ってこんなんじゃなくない?」と感じてしまっているからだと思います。そして「わかる」だけの物語に「人となり」を感じないのは、ある行動に常に納得のいく理由が存在するのであれば行動の主体は誰でもいいことになる(=キャラクターがない)からだと思います。
じゃあ、人はどういう時に「伝わる」と感じるのか?
僕は「リアリティを感じた」時だと思います。「あ〜、こういうタイプの人ね!」「あ〜、この感じわかるな〜」みたいな。
そのためにはディテールが必要です。というより、人や物事の「感じ」を伝えようとするとどうしてもディテールが増えます。上で僕が適当に作ったストーリー①とストーリー②ですが、ディテールの描写が①には全くありませんが②は豊富です。伝わるように書こうとしたら自然と増えました。
質問者さんが質問の中で「『ここで感情を書いている!』とわかるのが表情描写くらいしかない」とおっしゃっていましたが、ストーリー②でいうところの「掃除の行き届いたキッチン」「白いワイシャツ」「白いエプロン」「立派な朝食」「目玉焼きの食べ方」「クマのついた目」なども感情表現と言えると思います。二人の感情や関係性や生き方や人となりが、ディテールに現象として現れている。
人間の感情の発露や意思決定のプロセスがどのようになってるのかはわかりませんが、とんでもなく多くの要因と複雑な過程があって、しかも人それぞれで個別なはずです。それをシンプルにサマってしまうとわかりやすくなるがキャラクターが消えて嘘臭くなり、その複雑さが表現されている現象に触れるとキャラクターらしいリアリティが伝わってくる。
長々と書きましたが「感情があるマンガをどう描けばいいか?」という質問へのとりあえずの回答としては「キャラクターのことを理解して、その感情・関係性・生き方・人となりなどが現れているディテールをしっかり描く」という感じかな、と思います。
物語になると急にサマリ脳になってしまう現象
注意すべきは、なぜか物語を作ろうとすると急に「1つの行動には1つの理由があるはず」と思い込んでしまうことが結構多いということです。「せざる得ない理由」を作らないとキャラを動かせられない、みたいな。
そういう人でも例えば「友達がこんなアホなことやった」みたいな話聞いたら「あー、アイツらしいね。テンパってたんだろうなー」と笑ってたりする。「その行動にはどういう理由があったんだろう?」とはならない。現実では人の行動を「らしさ」=ディテールで理解しているのに、物語になると急に「理由」=サマリで考えようとしてしまう。物語なんで現実よりわかりやすい必要はあるんですけど、そっちに寄りすぎてしまうことが多いな、と。
マンガだけでなく文章でもあるなと思うんですけど、例えば映画を観て、役者の表情ややりとりなどのディテールに「俺の高校生の時にも同じようなことがあったな…」と心を打たれたのに、いざそのレビューを書こうとすると「純愛映画の極北!」みたいにサマってしまう。なぜだ!高校の時の話を聞かせてくれよ!
多分なんですけど、「個人的な感情や感覚を人様に見せてはいけない」みたいなロックがどこかでかかってるのかもしれないですね。代わりに、誰が見ても間違いない正解を「わかる」ように書かないといけない、みたいな。でも、本当に人に「伝わる」のは個人的なディテールだけだと思うんですよね。
ここまで書いて以前、「作家さんがキャラを掴むまで押したボタンを列挙してみる」 という記事で書いたこととほぼ同じ内容を違う言葉で言っただけだな、と思いました。「感情を描く」と「キャラクターを掴む」はほぼ同じことなんでしょうね。
質問募集してます
質問者さん見てらっしゃいますでしょうか?何かのヒントになれば幸いです。ご質問ありがとうございました!
そして、お題をいただくとnote書きやすいな、と改めて思いましたので、引き続きMondにて質問募集しております。
何卒よろしくお願いします!
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