想像することで優しくなれる

心に余裕がない時、満員電車が苦痛だ。たくさんの人に押されて、熱気に包まれた狭い空間に押し込まれる。アルバイトに行くためには絶対に乗らないといけない。避けられない苦痛がもともと余裕のない心をさらに押し潰そうとする。隣にハゲ散らかしたおじさんがいる。ぎゅうぎゅう押されておじさんの肘が横腹に突き刺さって結構痛い。この状況で肘を立てるってどういうことなんだろう。イライラしてくる。
満員電車の中で携帯を見ることもできないから、このおじさんについて想像してみることにした。

隣の臭いおじさんは、今朝娘に嫌な顔をされて…

私の隣で肘を当ててくるハゲ散らかしたこの臭いおじさんにも、高校生の娘がいるかもしれない。そんなおじさんに訪れる朝のルーティンは一通りしかない。娘に「おはよう」と声をかけたら、「臭い」と一言返されるだけだろう。うわーやっぱりおじさんって可哀想だな。あと20年したら私も同じ立場になっているかもしれない…そう思うとちょっとだけこのハゲ散らかしたおじさんの頭が、苦労の賜物に見えてくる。家庭で虐げらたこのおじさんはもう仕事に人生のやりがいを見出すしかないのだ。さっきからずっと肘が当たっているけど、まあ今日ぐらい許してやろうと思った。
電車の中で妄想を巡らせているうちに、なんでこんな想像を始めたのか、そのきっかを昨日見た映画の中に見つけた。

頭の中身は誰にも奪うことができない

「ラーゲリーより愛を込めて」で俳優の安田顕さんが言っていた言葉だった。映画の批評はさておき、この言葉は私の頭の中に深く焼き付いてしばらく離れなかったから、電車の中で想像力して心だけでも豊かにと思った気がする。
戦時中の厳しい状況でも誰も人の想像力は奪うことはできないし、想像力が豊な人は厳しい状況に置かれても、心を豊に保つことができるのだと思う。戦時中と今乗っている満員電車を比べること自体、その言葉を考えた人に失礼な気はしたが、私は目の前の苦痛な状況を乗り切るために頭の中で次から次に想像を膨らませていく…



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