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私の音楽歴

ここぴのプロフィールです。

※2022年7月19日一部加筆修正

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寄り道の多い人生も捨てたもんじゃないかもね、と今は思えます。
どの体験も私を育ててくれました。

ちょっと長くなりますが、よろしかったらしばらくお付き合いいただけましたら幸いです。


ピアノを始めたきっかけ

小さい頃から大人しくて、外で人と遊ぶことはあまり好きではなく、家の中でひとりで折り紙を折ったり絵本を見たりするほうが好きな子供だったようです。

音楽好きだった母が幼少の私に『ピアノを習ってみる?』と事あるごとに尋ねたそうです。その都度キッパリと断ったらしいのですが、全く覚えていません。

小2の秋に、学校から帰るなり

『ピアノを習いたい!
今すぐに先生を探してほしい』

と母に懇願したそうです。

きっかけは音楽会の合奏で木琴を担当した際に、音楽の先生からたいそう褒められたことのようですが、これまた全く記憶にありません。
いったい私の記憶力はどうなっているのでしょうか。

ともかく自分の強い意志で始めたことは確かのようです。

小中時代

いつの頃からか、童謡や歌謡曲に適当に伴奏をつけて弾く一人遊びが大好きでした。
流れてくるメロディに適当にハモって歌うことも自然にやっていました。

母とご縁のあった教会からの依頼で、小4の頃から日曜日のミサのオルガンを弾かせてもらいました。
聖歌集の楽譜はとても魅力的で、混声4部合唱のような4声体和声の美しい音楽と、オルガンの響きが大好きでした。

近所の先生に習っていたピアノは、紹介で小5から遠くの教室に電車で通いました。今でもひとりで電車に揺られることが大好きなのは、その体験が元になっているのかもしれません。

音楽会では合唱の伴奏をたくさん経験しました。中学時代は作曲(ほんのちょっとした曲や歌)にも熱中。

学校という集団生活は苦手で、苦痛に感じる出来事は山ほどあったのですが、自分の中にピアノがあったから乗り切れたと思います。

高校時代

高2から原因不明の体調不良の日々。今思うと原因は過度なストレスだったろうと思います。ピアノも休会しそのままフェードアウト。

遅刻欠席多めでもかろうじて進級。進路選択の時、体調面での自信のなさと経済面での親への勝手な遠慮から、気持ちをごまかして音楽ではない道に進もうとしましたがそちらも不合格。

今思うと自分が本当に好きなことにきちんと向き合わず逃げていたと思います。

寄り道・兼業時代

卒業後の1年間は身体を整えながらゆるめのアルバイト生活。
翌年公務員に。職務上有利な資格を取得するために働きながら通信教育で短大に学び2年間の課程を4年かかってやっとこさ卒業。

地元の混声合唱団には6年ほど所属して、仕事帰りに週2日練習に通いました。アカペラの曲ではソプラノ(本当の声域はメゾソプラノ)、ピアノのある曲ではピアノ担当。

ピアノは独学で続けていました。
ピアノへの思いは深まるばかりで、ヤマハにグレード制度があることを知り、5年間の公務員生活の最後の年に指導グレード5級を取得。

結婚のため退職。家と実家で大人と子供数人に教えていました。

出産後、娘がまだ小さい時に演奏グレード4級を取得。指導グレード4級受験の際は子連れで東京へ。当時東京にいた兄弟に現地に来てもらい受験の間ファミレスで子守りをしてもらったのも懐かし楽しい思い出です。

無事合格し音大を出ていない引け目を埋めたつもりでいましたが、そのコンプレックスは後々まで引きずることとなります。

娘が小学生だった6年間、頼まれて公務員時代の関係機関で臨時職員として働きながら、ピアノの仕事も自宅、実家、楽器店で細々と続けました。

夢見るように咲く庭のバイカウツギ

ピアノ専業になってから

その後自宅だけのレッスンに切り替え年を重ね、それなりに経験を積みました。その一方で、入ってくる生徒さんもいれば辞めていく生徒さんもいて、個々の身体の特性や感じ方の特性によってぶつかる壁、音楽的な悩みに対応しきれていない自分の力量不足を痛感していました。
いや、もっとずっと以前から心の奥底で、『人に音楽を教えるって何だ?』とさまよっていたのです。

健康面でも不安が多く、40代で一度身体を壊し、50代で入院、手術も経験しました。

新たな出会い

2014年にutena music field 谷中みかさんのホームページに出会いました。

ここ、台音楽レッスン研究室は、子どもの才能を伸ばす教育も、個性を伸ばす教育も目指しません。
才能も、個性も、個人の主体性に関わるものなので、たとえピアノ講師でも触れることができない、大切なものとして扱いたいからです。
旧サイト『おとから音楽へ』のまえがきより

人ひとりの尊厳のとらえかた。
私の心がずっと求めていた『本質』に触れた思いがしました。薄暗闇の先に光を見つけた喜びは言葉にしきれないほど大きかったです。

その後、谷中師匠のもとで『音楽プロセス体験』の発展プログラムを学ぶため東京講座に定期的に通いました。
この学びは、生徒さんの困難をほぐす有効な手立て、という前に、私自身の問題として、自分の感覚に耳を澄ませて心と身体と音楽を繋げていくことの素晴らしさと不思議さを体験することとなりました。

私の音楽もそれまでとは全く違った方向から育てられるようになったと思います。

そんな自分自身の体験も踏まえて、教室の方針の舵をグググッと大きく切っていきました。
いろいろな迷いから抜け出して自分の柱をしっかりと立てることができました。(その時のレポート


また後述のnoteで出会ったピアノ友の紹介で、生涯師事したいと思えるピアノの先生と出会い、2021年秋に衝撃と歓喜のピアノレッスンを受けました。音大を出ていないコンプレックスも吹き飛びました。今後もチャンスをみて通い続けます。

現在

教室の生徒の割合は、以前は大人と子供と半々でした。
年々シニアピアノ教室の色が濃くなり現在はほぼ70代後半ですが、実は小学生の親子さん、会社員の青年も気に入って通っていただいています。ありがたいご縁です。

レッスン以外の活動
〜noteとストリートピアノとYouTube〜

2020年の終わりに60歳でnoteを始めました。
そこで出会ったピアノ友の影響で2021年の夏、思いがけなくストリートピアノデビュー。
さらに2022年2月にYouTubeチャンネル『いつでもここぴあの』を開設。
ジャンルにかかわらず好きな曲、気になった曲、ご縁のあった曲を練習してマイペースでアップしています。
練習は心から楽しくて、没頭するとつい時間を忘れます。

私の目標は心に響く音。
まずは自分自身の心の深いところに…

そしてもしも誰かが悲しいとき、苦しいとき、通りがかりに一瞬でも心を休めてもらえるような場所であれれば、と思います。

自分に愛が満ちて、外側に拡がっていく。
そんな音を奏でたい。


おかげさまで自分史上、今がいちばん元気。やぎ座は60歳からどんどん元気になると聞きますが本当のようです。

今、自分が心からやりたいことができているからでもあるのでしょう。

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トップ画像は大好きなフランチェスカさんの作品をお借りしました。
フランチェスカさん、ありがとうございます💗


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました💐

ここぴ

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