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一回目の子宮筋腫〜発覚から検査〜

こんにちは。みであです。
2014年に子宮筋腫の筋腫核出術(開腹)をおこないました。
そのときの記録をまとめます。



2012年 子宮筋腫発覚

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2014年 会社の婦人科検診から精密検査へ

背景

2013年から社会人になったのですが、入社3週間で母が急逝し、3ヶ月ほど毎週のように飛行機の距離の東京からA市へ帰って父を支えました。
また、2014年の冬に父のガンが発覚。検査や放射線治療の付き添いで、毎週A市へ帰ったり、仕事の関係で全国出張に飛び回っていて、アラサーのキャリアウーマン的なやりがいを感じていた時期でした。

春 婦人科検診

新卒の年は忙しくて受診できなかった婦人科検診ですが、2年目は空き時間ができたので受診することにしました。
内容は、子宮頸部細胞診と、経腟超音波検査(エコー)、乳房の超音波検査(エコー)、乳房の触診でした。

エコーの影

「あれ?」先生の声を鮮明に覚えている。一番最初の異変は、会社の婦人科検診。苦手な内診検査、エコーの時間がやたら長かった。年齢、既往歴、「ご家族に婦人科系のご病気の方は?」今の自分には辛い言葉。「母は昨年死にました。姉とは疎遠でわかりません」先生はうーんと言って、「子どもの希望は?

」私がいいえ、と言うと、先生は冷静な声で、でもはっきりと、「もし将来欲しくなるなら、大きい病院を紹介するから、すぐに予約しようね」何が悪くなったんだろう。頭が真っ白になりながら、続きは診察室でと内診台を降ろされた。あれだけの時間調べられてもわからない何かがあるの?と診察室に戻った

「もしかしたら、卵巣捻転かもしれません。子宮筋腫かもしれないが、位置が悪い」「もし経験のない腹痛になったらすぐ救急車を呼び、卵巣捻転の疑いと伝えられるようにして」「すぐに転院して。手術の段取りつけてね。転院予約は来週の…」有無を言わさず転院して手術しないといけなくなってしまった。

大学病院へ転院

転院先は東京タワーの見える大病院。何があっても良いように、検査の嵐。血液、尿、エコー、MRI、肺活量と呼気成分、歯、既往歴、精神が安定しないのでそちらのカウンセラーもまわった。パートナーはいたけど、お互いまだ若く相談できず、独りぼっちで、いきなりのことでどうしようって気持ちしかない


独りぼっちということ

家族のことは今度お話しようと思いますが、この当時、私は学生時代からお付き合いしていた彼氏がいました。
関東ですぐ頼れるのは彼だけだったため、彼に相談したのですが、社会人になりたてで、仕事や仕事仲間のほうが大事な時期のため、あまり親身になってくれませんでした。

それでも、入院・手術となると保証人が必要になるため、彼に書いてもらいました。何かあったら保証人が支払わなきゃいけない金額を前払いし、やっと書いてもらいました。

私の家に半同棲していましたが、母を急逝で亡くしまだ立ち直っていない私には、毎日のように家族でグループLINEをして、毎週のようにテレビ通話している彼が羨ましくて、母に会いたくて、このころはずっと泣いていたと想います。

母がいなくなって、自分は独りぼっちなんだなぁって。
その気持ちが、子宮筋腫と共に大きくなっていった半年でした。

話が逸れてきたので続きは別トピに…。

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