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喋る本の怪

「シュレディンガーの猫。あれを効果的に用いている例を僕は今だ嘗て見たことがない」

「藪から暴力」

「ここは図書館だ。それに、館内は暴力禁止だ。それくらい心得ているさ」

「いや大分無くしてるよ人の心。何堂々外では殴ります宣言してんだ」

試験勉強だろうか。二人の学生が机を挟んで座っている。図書館で騒ぐ事は、言葉の暴力に含まれるのだろうか?

「んで何でシュワルツェネッガーのお猫様の話?なりたいのか?」

「夢のある話だが、夢で十分だなそれは。シュレディンガーだ。聞いたことあるだろう有名だし」
「箱の中の猫は生きてる状態と死んでる状態が重なってて、観測するまでわからん」

「なんだ、知ってるじゃないか」

「それが何か?量子力学のテストは来週でしょ?」

「あるの!?量子力学のテスト!習ってないのに?何で!?」

「いや急にそんな話するから…あるのかなって」

図書館には人が少なく、ほとんど無人だ。彼らが喧しくても、特に注意する人間はいない。嘆かわしいことだ。

「義務教育でんな科目あって堪るか!」
「いいから先話せよ。ページ数が残り少ないぞ」
「いや結局あの思考実験は何が言いたいのかって事。これだけ引用されるのだから理由があるはずだろう?」

「んー。響きがカッコいい。動物愛護精神への挑発。ドイツ語言いたくなる。量子学の話の掴みに便利」

「違うね。シュレディンガーはつまりこう言いたいのだ。お前もこの箱に入ってみないか?」

「そんな蝋人形の館みたいな。悪魔じゃん」

「何も不確定なのは猫だけではないんだ。そしてシュレディンガーは猫以外を箱の外に閉じ込めたのだ。半死半生とは、我々の方だったのではないか?」

「ごくり…」
ごくり…
「んな訳ねーか」
「てか俺らうるさいなだいぶ」
「さっきからずっと見てるしな」
「迷惑だもんな」
「そこの猫ちゃんもそう思うよな?」

彼らが私に向かって話しかける。彼らが私を観測する。揺らぎのあるまま、ゆらゆら私に。幽霊の猫と、幽霊の彼ら。

図書館は、静けさに包まれている。



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