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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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#合気道

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

週末の時間

金曜、土曜と久しぶりのショートトリップ。 まずは、愛知県田原市、兄の待つ障害者支援施設に向かう。 新緑たちは先輩たちの緑に混じる。パッチワークのようなそれはいつも私の目を楽しませてくれる。 三河田原駅で借りたレンタサイクルは27インチの変速機付き、スポーツタイプでゴムチェーンが最近マイサイクルに定着している。 自転車にはずっと興味を持っていたつもりだったがゴムチェーンとは初めての出会いだった。 兄は相変わらず。腕時計が壊れたと言う。丈夫なGショックを買う約束をして別れた。

あの頃見上げた青空

もう四年も前のことである。 コロナがやって来る前のことだった。 何もないことが幸せであると振り返り気づかせてくれる時期であった。 合気道の稽古を行っているのは大阪市阿倍野区にある大阪市が再開発を行ったエリア内に建てられた市が分譲した住宅棟の隣の商業棟のレンタルスタジオである。本来であれば、畳の道場で皆に稽古をしてもらいたいが現在では各区に設けられた大阪市のスポーツセンターの道場を定期的に使うことは不可能になってしまった。レンタルスタジオを借りることができただけ幸せなのである

うどんを食って考える

仕事をする。メシを食う。酒を飲む。合気道の稽古をする。 不思議ではあるが最近時間の使い方を時々意識する時がある。これが歳をとったということなのかと思ったりもする。ほんの時々意識するのである。 時間を無尽蔵と考えていたわけじゃないのだが、若い頃には残された時間を意識することはなかった。たぶんほかの連中も同じなんじゃないだろうか。 この歳になって時々時間を意識しだした私は、だから何かに背中を押されるわけではない。何も変わっていないのである。変わったのは意識だけである。何かをやり残

稽古の帰りに飲んだ酒

いつもじゃないが、稽古の帰りに一人で酒を飲んで帰る時がある。 ゼネコン営業マン時代、帰りに飲んだ酒は飲まなきゃ帰れない酒だった。 ゼネコンの営業には定石は無く、毎回足らぬ頭を使い、心をすり減らし、ついでに靴底もすり減らしていつもクタクタだった。 皆は自身に「お疲れさん」だなんてことを言うが、私に限っては全くそんなことは無かった。 ゴールに着けぬ自身に腹を立て、きっとそれはあいつのせいだと、いつも誰かに矛先を向けて酒の神様に叱られそうなそんな飲み方しか出来なかった。 酒は頭と心

人生の先輩との別れ、一期一会ということ

ごくまれに、亡くなった知人のことをこちらで記述しています。 いつもそこにいた方、そこに行けば必ずお会いできる方がもうそこにはいらっしゃらず、お会いしたくてもお会い出来ないことに強く心を動かされ、私自身の心の整理をしたり落ち着けたりするためにここに文章をしたためていました。 人の寿命って何だろうと考えます。天に「そこまで生きてもいいよ」って定められるのが寿命であれば、特に死に恐れを感じたり、悲しみを感じその死を受け入れることが出来なかったりすることは無いはずなのですが、決して

目覚めとともの雑感(2023.1.23)

雨音で目を覚ました。 ポツポツと嫌な音じゃない。目覚まし時計ではないこんな優しい音で目を覚ます日にはなにかいい事がありそうな予感がする。 昨日は午前中の稽古に久しぶりに一番に稽古場に行った。いろいろあって前夜の仕事は休んだ。一人でマットを敷こうと思ったのだが、前のコマのバレエがもたもたしていてそのうち若い稽古生が一人やってきた。二人で敷き始めるとすぐに皆さん集まり、全員で敷くとあっという間に作業は終わった。日曜日の午前中に自分の時間を使って合気道の稽古にやって来る皆さんには

夜、頂いた湯飲みをながめて

熱いお茶が美味しくうれしい季節であるはずが、なんだかおかしな陽気のニ、三日が続いた。 大学を卒業してから40年近く持ち歩いている湯呑みである。 合気道の恩師、市橋紀彦先生から頂いたものである。 新宿若松町にある本部道場での稽古の帰りに時々先生のご自宅に寄せていただいた。本部道場から遠くない明治通りに出る手前の都営住宅に住まわれ、質素な生活をされていた。奥様は花の先生をされているのでいつも伺うお昼前は誰もいない。きれいに掃除も整頓もされた居間に通されて、先生が湯がいてくれたう

合気道の稽古の前に  

稽古に行く途中、稽古場近くの公園を通りかかって思った。 木は葉を枯らすが春また新しい芽を吹く。 よく見れば固い小さな芽が木の先々に付いている。 私が子どもの頃より寒くないと思うのだが、最近寒さが気になるようになってきた。歳かな、とここで書くと同年代の先輩諸兄より叱られるから書かない。(いや、もう書いた、、) 風邪はめったに引くことはこれまでなかったが、自己防衛の働く身体になってきたのだと思う。無理せず細く長く、という事だろうか。 木は老いても春に新しい芽を吹く、人間のそれは

通天閣と雨

家で雨音聞いてる時にゃ、通天閣は濡れている。 仕事にあぶれた姿を目にする通天閣は男たちを思って泣いているのか。 小雨に煙る通天閣を見上げる人は多くない。 濡れる足元を気にしてうつむき歩くサラリーマンたちを通天閣は黙って見やる。 学生時代のこと、雨が降ろうが、槍が降ろうが、二日酔いでも授業はサボっても合気道の稽古は休まなかった。 サラリーマン時代のこと、台風が来ようが、地震が来ようが、二日酔いでも会社を休むことは無かった。 基本的に責任感の強い人間だと自分のことを思っている

日記のような、びぼーろくのような(2022.10.10 体育の日)

昨日の体育の日、午後に合気道の所属会の稽古会があり大阪市の体育館に向かった。 このコロナ禍で久しぶりの所属会派の道場が集まっての稽古会だった。 百人以上が集まった。 指導は八段の主席師範、所属会のトップである。 70歳を越えるがさすがプロを思わせる身体の動き、関西で一番若い八段である。 大阪に三名、奈良に一名の八段、兵庫、滋賀、京都には八段はたしかいなかったと思う。 初冬を思わせるこのニ三日だったが、小雨が残る湿潤な天気は久しぶりに大汗をかかせ、稽古を終えた。 帰りにふと気

高齢者予備軍の悩み

ごくごく最近、誕生日を迎え62歳となりました。 高齢者にまた一歩近づきました。 信じることの出来ない事実ってのが、私の好きな『あなたの知らない世界』だけじゃ無いことを知りました。 若い頃にはこんな歳まで生きているとは思いもせず、若い頃に目にしていた年寄りってのはこんなものかと、只今認識しているところです。 この認識はなかなか面白いものです。 先週もありました。 現在、障害を持たれる皆さん(ほとんどが私の息子と同世代です)と夜だけをともに過ごす仕事をしています。 彼ら

昨夜見た夢

老猫ブウニャンが私の足元から最近枕元に移動して来た。 そして私の睡眠時間を減らし浅くする。 それと同時に増していくのは疲れである。 還暦の声とともに体調の微妙な変調を感じつつ、最近の疲れはこれまでのとは違うように思う。 母が他界して一つ肩の荷が下りたことも関係あるかも知れない。 家族の介護・看病は長年の事で、惰性になっていたと思っていたが、やはり多少の緊張感もあったのかも知れない。 ここで老猫の介護が始まりつつある。 昨晩久しぶりに夢を見た。 台湾の母黄絢絢が登場した

二人の年上の女性

日曜日の朝、夜勤明けの帰宅前に施設の調理の女性から「自宅で朝採ってきたのよ」と、キュウリをたくさんいただいた。 「今日はこのあとソフトボールの試合があるのよ」と元気に話される。 失礼だが、まったく70歳に見えない。 長くここの利用者の方々を見て来たそうで時々いろんなことを教えてくれる。 年齢もご自身から教えてくれた。(私から女性の年齢を聞くことはめったに無い。それくらいのデリカシーは持ち合わせているつもりである。) 私の兄もそうであるが障害者、高齢者の施設は多くの人たちによっ