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日記のような、びぼーろくのような(2022.10.10 体育の日)

昨日の体育の日、午後に合気道の所属会の稽古会があり大阪市の体育館に向かった。
このコロナ禍で久しぶりの所属会派の道場が集まっての稽古会だった。
百人以上が集まった。
指導は八段の主席師範、所属会のトップである。
70歳を越えるがさすがプロを思わせる身体の動き、関西で一番若い八段である。
大阪に三名、奈良に一名の八段、兵庫、滋賀、京都には八段はたしかいなかったと思う。
初冬を思わせるこのニ三日だったが、小雨が残る湿潤な天気は久しぶりに大汗をかかせ、稽古を終えた。

帰りにふと気になり、阿倍野の飲み屋に寄った。
世話になった大先輩の一周忌がそろそろなのである。
いつもの元気な飲み屋であった。
チーフに尋ねると、16日がその日だという。
店に飾ってある死んだ親父さんの顔を久しぶりにながめた。
「おお、宮さん久しぶりだなぁ、」と言って店に入って来そうである。
中生と赤兎馬のロックを二杯飲んで大先輩には別れを告げた。
また週末の稽古の帰りに寄ってみようと思う。

私の生涯で世話になったと思える人が何人かいる。
いや、何人もいる、であろう。
でもその大方の先輩は他界されてしまった。
必然で当たり前のことであるが、そんなことに今日気が付き、妙に納得している自分がいた。

生涯に出逢う人がどれだけいて、どこまで付き合い、ともに泣き、笑い,怒り、メシを食い、酒を飲んできたであろう。
そんなことを考えても意味のないことのように思う。
でも多くの方はもうあの世に行ってしまい、いないのである。

子どもの頃に両親が死んでしまったらどうやって生きて行くのだろうと、たぶん岩波少年文庫のどれかを読んで考えたことがある。
すごく不安に襲われたことを記憶している。
しかし、巨大台風と大地震が毎日続くような両親の看取りをした後にそんな不安は全く残っていなかった。
両親に叱られそうだが「やっと終わった」と安堵感があった。

多くの先輩方と別れを告げてきて思うのは、どの先輩にも初めて出逢った頃の畏敬の念は別れる頃には薄れていったことである。
手の届かないところにいた方たちが、そうではなくなっていた。
それはひとえに成長させてもらった、ということなのであろう。

老いては子に従うようになる、威厳のあった一家の大黒柱であった父親と同じことなのであろう。

がむしゃらに仕事をし、生きて来た過去は生きて来たと言うより、生きることを追いかけていたように思う。
今は生きている、そう感じることが出来る。
やっと自分の人生を享受し生きることが出来るようになったように思う。
これはひとえに両親、先輩諸兄のおかげだとしみじみ思うのである。

稽古後の焼酎二杯はよく回った。


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