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目覚めとともの雑感(2023.1.23)

雨音で目を覚ました。
ポツポツと嫌な音じゃない。目覚まし時計ではないこんな優しい音で目を覚ます日にはなにかいい事がありそうな予感がする。

昨日は午前中の稽古に久しぶりに一番に稽古場に行った。いろいろあって前夜の仕事は休んだ。一人でマットを敷こうと思ったのだが、前のコマのバレエがもたもたしていてそのうち若い稽古生が一人やってきた。二人で敷き始めるとすぐに皆さん集まり、全員で敷くとあっという間に作業は終わった。日曜日の午前中に自分の時間を使って合気道の稽古にやって来る皆さんには頭が下がる。私も真剣に稽古に取り組まなければならない。技の習得、合気道の何ぞやを私の知る限り伝えていかなければならないと思っている。

午後は久しぶりにスーツに袖を通した。サラリーマン時代のスーツはほぼ処分し、数着だけ残してある。ネクタイの締め方も忘れていなかった。なんだか七五三の宮参りに行く子どものような心持ちでJR、地下鉄御堂筋線と乗り換えて千里中央に向かった。所属する合気道の会の傘下の大学合気道部の創部60周年の式典に行った。来週はその会の新年会がある。同じメンバーでの新年会が二週続くのである。ともに稽古した懐かしい卒業生とも会え、息子と変わらぬ年齢の彼らの近況を聞き、皆頑張って社会人として生きていることを確認しなんだか嬉しかった。

私の卒業した大学合気道部は5年前に60周年を迎えている。その10年前の50周年には合気道道主にご足労していただけた。稽古もあったのだが、その時道主から「宮島君、まだ身体が動くんだね」と言われたのが妙に記憶に残っている。その時私はまだ50歳の手前、道主は私より10歳年上であった。欠かさず毎日の稽古を行う道主は加齢はあろうとも身体が急に動かなくなることはあり得ない。プロではない私たちは甘えてしまえばすぐに身体が動かなくなることを経験している。道主はそんな稽古人をたくさん見てきているのであろう。人間の身体も心もそんなふうに出来ているようである。年齢に、自分に甘えてしまえば年齢なりになっていくようである。だから、合気道でなくともよいのだが、何かを続けることが肝要なように思う。

私は今年は今まで以上に稽古に力を入れようと思っている。新しい武具も使えるようになろうと思っている。合気道には関係ない武具なのであるが、生来こんなのが好きなのである。
そして、頭と心も鍛えよう、そう思っている。
さあ、それはどうやって鍛えよう、まずは前向きに生きる事かなと思う。置いてきぼりにならないように世間の動き、世界の動きを頭に入れつつ前を向いて生きて行くことかな、と思っている。一月も後半に入ってやっと今年が始まったなと思っている。

昨日の酒は完全に抜けている。今日一日も始まった。この一日一日の積み重ねなんだなと思える年齢に知らないうちになっていた。

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