サービスの本質


「湯切り入りまーす!!」

「よいしょー、よいしょー、よいしょー!」





麺の湯切りするたびに店員全員でよいしょよいしょ言う必要あると思います?(一部のラーメン屋を指してます)


活気だすタイミング間違ってない?


客は湯切りの活気をどう楽しんだら良いの?


hey Siri! やり過ぎてはならないの代表格は?


ラーメン屋の過剰なサービスです。


見てお得感もない、この湯切り時の活気が堪らないよなーもない、あそこは湯切りが格別やからねーもないよ?


湯切りで一体感だす必要ある?


湯切りに重きを置く必要ある?


ホールは客だけに気を配っといてくれよ。


厨房チラチラ見ながらよいしょよいしょのタイミング見計らうなよ。




ここからは憶測だが、開店前のよいしょ系の店は「お客さまのために活気のある声出し、一体感。これはラーメンの味よりも大切なことです。」みたいな見習い店主の熱い言葉に「よいしょの声合わせ」をアホみたいにやってるのだろう。


ラーメン屋で大切なのは、味です。


ビキニ居酒屋なら大切なのは店内の活気とサービスです。


ラーメン屋は、味です。




そしてよいしょ系ラーメン店にありがちなのはピッチャーに水がパンパンに入ってること。


コップに入れる際少し傾けたら水が出る。


だいぶ高い位置から水が出る。


そのため水はハネてテーブルは汚れ、それを拭いて「キレイな店づくり!最高のサービス!」


自作自演えぐない?


これはもはやサービスなのでしょうか。


なぜか不明だが、ラーメン屋の漫画の品揃えの良さ。


これはもはやサービスなのでしょうか。


麺の固さは?太麺細麺選べますが?味の濃さは?背脂の量は?ニンニク入れますか?塩系と醤油系ありますが?ネギ多めできますが?


これはもはやサービスなのでしょうか。


選択を減らすスマートな世の中になってきているはずではないか。


スティーブジョブスだって着る服は1着にしぼり選択を減らしていたではないか。


時代に逆行した過剰サービスではないだろうか。


汚い店ほどおいしいという風潮。


時代に逆行した過剰サービスではないだろうか。




先日店内の漫画を読みながらラーメンをすする学生に、


店主「ラーメンの汁が飛ぶので食事中は読まないでください。」


確かに食事中の漫画はマナーとしては有り得ない。


ただ、じゃあいつ読むねん。である。


だいたい全巻揃ってたりする。


いつ読みきれんねん。


待ち時間的に週刊誌でよくない?週刊誌は毎週買わなあかんって?


これがラーメン屋と美容院の差ではないのか。


サービスとしてよいしょと週刊誌ならよいしょを選択するラーメン屋は時代に逆行してはないだろうか。(しつこい)




キムチ取り放題サービスも平日のサラリーマン達には臭いの件でなかなか手が出ない。


それが少し損した気持ちに繋がるのである。


社内では上司に叱られ、部下には舐められ、事務員にはお茶も入れてもらえず、唯一の楽しみランチではキムチに手が出ない。


ラーメン屋はこれでも責任を感じないというのだろうか。(ラーメン屋に責任はない)









改めてサラリーマンとは孤独な生き物だ。



サラリーマンとは孤独な職種なのだ。


私たちは社内のみんなと一体感を持って働きたいと思っている。


ただ気が付けば溜め息ばかりを吐き続け、二酸化炭素を排出しまくる環境汚染サラリーマンに成り下がるのである。(言い過ぎ)





そんな冴えない私を救ったのは一軒の飲食店だった。






店内に入るや否や、活気に満ち溢れた笑顔と重なり合う声色たち。


私はその一杯を食べ終わる頃、残った多大なる幸福感は味覚や嗅覚で感じられるそのものたちではなく、目や耳で私を魅了し続けた店長ならびに店員たちであった。





「湯切り入りまーす!!」


「よいしょー、よいしょー、よいしょー!」





私は今の社内では感じることができない一体感と活気をこのラーメン屋で感じた。


下を向いていても意味がない。


後ろを振り返っていても意味がない。


私はラーメン屋の帰り道しっかりと前を向いて歩いた。


この街の風景はこんなにも綺麗だったのか。


また明日から、いや今日この時から頑張ろうと私は決意した。






ラーメン屋最高。



(多重人格者)



(どういう類いの文章?)



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