なまえのこと。


こんにちは、岩田です。

ちょっと話は変わるんですが、先日、Twitterでもご報告させていただきましたとおり、このたび結婚することになりました。11月30日に届けを出す予定でいます。

さてさて、気になるのは、なまえのこと。
結婚すると名字が変わりますね。

実を言うと、『岩田』で過ごしたのは約10年間です。
今、24歳で、残りの14年はどうした?って思いますが、『岩田』になったのが、両親が離婚したちょうど10年前で、その時に母の姓にわたしも変えました。
それまでの14年間は、父の姓で生きていました。
わたしからすると、人生2度目の名字変更です。

よく見てください、わたしの名前。
漢字、漢字、ひらがな、ひらがな、漢字の5文字でできています。小学2年生までには書けるようになる名前です。(『乃』はいつ習うんだろう?でも簡単なので書ける)
て、、、手放したくない……!

あまり人には話しませんが、今の名字も名前も、とっても気に入っています。すぐ書けるだけじゃなくて、『岩田』の響きがかわいくないですか?
ひらがなの『いわた』もかわいいし、実家のホルモン焼き屋は『ガンタ』って呼ばれたりもしてて、一部のひとからは『ガンちゃん』って呼んでもらったりしています。
え~やっぱり最高じゃん、この名字。


と、言っていられないですけどね。

相手のことが嫌だとか、相手の名字が嫌だとか、そういうのは1回も思ったことはないのですが、自分の名字に愛着がありすぎて、この先『岩田』でなくなること、感覚がよくわかりません。

ハンコも、カードも、免許証も、名刺も、変わっちゃうんだなあ。
今を知っている人は今のままでも、この先会う人からすると、わたしはもう『岩田あや乃』ではなくなっちゃうんだなあ。
そう思うと、この10年間がとてもたいせつだったことに気づくし、10年があっという間でした。


両親が離婚した当時、わたしは不登校で、やっとでさえしんどいのに、さらにしんどいことが乗っかって、超しんどかった。
母のほうがもっとしんどくて、苦しかったと思うけれど、子供ながら「結婚なんて絶対しない」と思っていました。離婚した時の苦しさや、残された子供の気持ち、そういうのを知ったから。いい教訓だと思った。

だから、自分が結婚するとも思っていなかったし、そもそも結婚できるような人ではない気がしていました。
でも、驚くことにわたし結婚しちゃうんだなあ。全て、相手のおかげだと思います。
そのへんに転がってたわたしのこと拾ってくれて、『岩田』の岩並みに、頑固で意地っ張りなところを受け入れてくれたり、落ち込んでる日には、とことん落ち込んで隅っこでホコリ被ってうじうじしているところを、丁寧にホコリをはらって、いつもぴかぴかに磨いてくれてありがとう。笑


すでに家を出てしまっているけれど、もっともっと家族といっしょに住めばよかったな、と今更感じます。24年生きていて、一人暮らししたりしたことも含めるといっしょにいたのは20年くらいかな。
もっとたいせつに過ごせばよかった。反省ばかりです。親孝行なんてほど遠いね。

名字が変わっちゃう前に、どうしても家族がそろった写真がほしくて、「ばーちゃんのすきなコスモス畑で、みんなで写真を撮ろう」と提案しました。祖母と、母と、いっしょに見に行ったコスモス。
「死んだ時は、棺桶にコスモスと桜とトマトを入れて」と言う祖母の言葉が印象的過ぎたし(すでに遺影用の写真をコスモスの前で撮った)、いっしょに行ったことのある場所を思い出していたけど(千里浜とか)、時期も時期だし、やっぱりコスモスなのかなあって思いました。
せめてもの親孝行になればいいな。


紙一枚で、別の名字になって、まるで、新しい人みたいになってしまうけど、わたしはわたしのまま、いままでのまま生きるだけです。
なんにも変らないと思う。
ぼんやりした性格も、ボケなところも、友達が少ないところも、主語がなくいきなり述語なところとか、母そっくり。唯一、手先の器用さだけ似なかった。似てほしかった……。ボタンもつけれないんです。そもそも玉結びができないので、裁縫を始めることができない。ほんと、性格だけ。
日に日に性格が母に似ていくので、弟が嫌がっています。笑


な~んか、今さらいろいろ考えるようになってしまいました。
死にたい日々があったし、いろんな人と衝突して嫌な思いした日も、どうにもならなくてとにかく辛い日もあったけど、生まれてきてよかったなって思うし、生きててよかった。

母の子供でよかったし、許すことはできないけれど父の子供でよかったし、弟が生まれてくれてよかったし(生まれた直後、母を取られるのが嫌で病院に置いてきてほしいとは言ったけど!)、14年間家族として、いっしょに過ごせたこともよかった。

離れ離れになったけど、それでも気を遣ってくれた父方の祖母、祖父、叔母にも感謝だし、名前が変わってから引っ越して、10年いっしょに過ごしてくれた母方の祖母や、叔父にも感謝。

もともと住んでいた住宅には新しい人が入っているけど、楽しかった時間は、あのおうちを見かけるたびに思い出すし、実家はホルモン焼き屋で最高だし、従兄が使っていた4畳半の部屋もとても居心地がよかったし、学校に行けなかった時間も、学校に行けた時間も、スーパーの総菜屋さんの清掃バイトした時間も、写真屋さんで仕事したことも、仕事に行けた日々も行けなかった日々も、岐阜にきたことも、ぜんぶぜんぶひっくるめて、ほんとうによかったなあって思える。

これから先も、きっと面と向かって言えないだろうから、ここに残しておくことにします。

次は、ちょっとかっこいい名字になります。この先、さすがにもう変わることはないだろうなあ。
かわいくって、馴染み易くて、だいすきな名字とお別れする日まで、今をたいせつに生きようと思います。

読んでくれてありがとう。
これ、わたしのだいすきな写真です。去年の春に、近くの河原で。
だいすきな母と、祖母と、弟が笑ってくれてるのが一番しあわせです。




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