アイ・アム・レジェンド

自分から話しかける事が苦手で昔から友達は少ないのです。そんなもんで上京してからも友達と呼べる人は出来ずに1年半も経ってしまいました。

もちろん数少ないけれど大学の時の友達はいるけれど、皆関東付近に就職した人は殆どいなくて、関東で就職した人はすでに結婚して子供いたり、勤務先が茨城だったり気軽に会うことが困難だったりする。だから、上京してからはほぼ1人でいる事が多かった。

こんなにも人が多い東京なのに、すれ違う人達は俺の名前や素性なんてのは知らず、顔なんてすれ違った瞬間忘れるんだろうと思うと悲しくて孤独に感じる事が多かった。

それはもちろん自分が積極的に話しかけないのが悪いのだからそんなダメな自分を見てまた落ち込むという自分から作った負のループに陥ってしまうのだ。こう書いてみると僕はとてもめんどくさい奴だなと思う。笑

けれどこの悩みってのは案外可愛い物なのかもしれない。もし、この地球上に自分しかいなかったら?あなたならどうする?

「アイ・アム・レジェンド」は世界中に謎の致死率90%の感染症が流行してしまう。感染で生き残っても理性を失い人間を襲ってしまうダークシーカーとなるのだ。何故か免疫のあったネビルは荒れ果てたニューヨークで、もしくは世界でたった1人の生存者だった。彼は愛犬のサムと共に生存者の存在を信じながら治療薬の開発に奮闘するSF映画だ。

この映画はとにかく主人公のネビルが暗闇の中を当てもなく歩くような非常に暗い。何日間も治療薬の実験は失敗続きで、広いニューヨークを探しても生存者は出てこない。毎日通うレンタルDVDショップに置いてあるマネキンに話しかける事がより孤独と悲しさを見てる側に植え付ける。しかし、そうするしかネビルは孤独に押し潰されてしまうのだ。

こんな世界耐えれねぇよ!!笑

自分なら多分数日でギブアップしてしまうだろう。なんせ、自分の行動が意味があるものなのかってやっぱり客観的に考えてしまうはず。もし治療薬を開発しても生存者がいなけりゃ意味ないし、その生存者がいる確率なんかほぼ0に近いなら意味がないのだ。そんな僕みたいなやつが生き残ったらきっと世界は闇の中だろう。

しかし、ネビルは違うのだ。たとえ無駄な事かもしれないと分かっていてもこの闇を光で照らすために彼は孤独と戦いながら生きているのだ。そんな強い姿がこの暗い作品の中で唯一の光であり、とても胸を打たれる。そしてラストにはあんなに暗かった作品なのに眩しすぎるほどの光が我々を包んでくれるのだ。

僕の好きな歌手の星野源さんの「日常」という曲の歌詞にこんなフレーズがある。

"無駄な事だと思いながらも それでもやるのよ    意味がないさと言われながらも それでも歌うの   理由などいらない 少しだけ大事なものがあればそれだけで”

この作品はそんな闇の中でも自分の中の確信を持って歩く事の素晴らしさを教えてくれる力強い映画だった。


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