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移りゆく季節 #2

2) まるでお城のような

 メキシコに来て間もない頃は、お金もない上に、仕事に追われてほとんど時間がなかった。そして、メキシコ人の知りあいも殆どいなかった。学生だった頃はありあまる時間があって、確かにお金は殆どなかったけど、同じような状況の友人が何人かいた。家に戻る度に、そんな日々を懐かしく思っていた。メキシコに何をしに来たのか、会社への道すがら考える日々。何か起こらないかと期待して、メキシコシティの公園にずっといたり。義務感でスペイン語の新聞を読むが、まだまだ殆ど理解するのにも一苦労で、インターネットにあがっていた日本の動画を見ながら自分をなんとか保とうとしていた。

 今でも覚えている光景がある。

 働いていた会社の近くに日本食のレストランがあった。日本人がオーナーとのことだったが、日本食とは言い難い料理で、良くも悪くもメキシコ風に味付けされていた。メキシコ料理でも日本料理でもない奇妙な代物だった。何のこだわりなのかはわからなかったがラーメンの麺が自家製麺で、何故自家製麺なのか分からないクオリティの麺(ストレートのかなり太めの麺)で、友達と一緒に食べたときに縄跳びみたいな麺と言っていた。「今日、縄跳びいきますか」と言って、同じ境遇に見えた日本人を誘うのが殆ど唯一の楽しみだった。日本のラーメンから比べたらハッキリ言って美味しくはない。だが、妙にショウガの効いた味噌ラーメンで、その味の濃さと雰囲気から、これはこれで悪くないのかもと思うこともあった。

 ある日、会社で働いていて帰りが遅くなったとき、無性にラーメンが食べたくなったときがあった。たいして美味くもないラーメンなのに無性にあの味噌の香りが、ショウガの効いたスープが、歯ごたえのない太い縄跳び麺が恋しくなったりした。だが、当時の給料では、その縄跳びと馬鹿にしていたラーメンにすらも手が届かず、それが何とも言えず悲しかった。それは、本当に心の底から寂しさが胸に一杯になっていくのを感じた。メキシコで作られる日本食ではなくなった偽物のラーメンが、まるで自分のことのように思えたから。

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 メキシコに来てからまだ一年も経っていなかった頃、仕事の合間を見つけて各地を旅行したいと考えていた。住んでいたメキシコシティからほど近い保養地のクエルナバカやタスコと呼ばれる場所に足を運んでみたりしてみたが、知りあいもいない一人旅は自由気ままな反面、案外寂しいもので、日帰り旅行から戻る度にうっすらとした虚しさを感じていた。そして、とある3連休を利用して、日帰り旅行からもっともっと遠出をしてみようと思い、次の行き先はグアナファトという場所になんとなく決めた。

 グアナファトは、それはそれは綺麗な街として有名だった。訪れる人みんなが息を呑むというのが謳い文句で、ついたキャッチフレーズは宝石箱をひっくり返したような街。メキシコの北バスターミナルまで行って(当時も今もあまり治安がよくない)、バスチケットを買ってグアナフアトに向かった。初めてメキシコシティを出て 他の街に泊まるということで色々バスに揺られながら考えていた。バスの時間はちょうど5時間ぐらい。考える時間は、沢山あった。もしかしたら誰かに会えるかもという意味のない期待。そして、また何もなかったらどうしようという切実な不安。そう、その頃、特に思っていたのは、何も起こらない毎日への不安だった。メキシコに来て、誰かに何かに出会えると思っていたのに、もしかしたら僕は誰にも何にも出会えないのだろうか。メキシコは僕を求めてないのか、と不安に駆られた。ラテンアメリカを一周したときは、毎日が刺激的だった。初めて会う人、見る場所、感じる時間。言葉なんか分からなかった。でも、そのときは、ラテンアメリカこそが自分の居場所なんだと思えた。ラテンアメリカが僕にそう思わせてくれた。だけど、住んでみることでもっともっと内部を「知る」ということを試みた瞬間、メキシコは僕を拒否しているような気がしていた。そんなことをグルングルン考えながら、バスも坂道のカーブをグルングルン回っていた。

 揺らされてやっと辿り着いたグアナファトは、それはそれは綺麗な街だった。何か空気が違った。メキシコシティとは違う空気。澄んでいたり空気が美味しいということではなく、纏った時間の感覚が違うような空気、グアナファトだけ時間が止まっているような。匂いも違う。何か独特の、グアナファトに入る人をすべて街の色に染め上げてしまうような匂いがした。多分、それがこの街の冠した様々な形容詞の由縁なんだろうと思った。
 
 見上げると、空は青く、どこまでも高かった。

 バックパッカーが良く泊まる宿を事前に調べておき、そこに一直線に向かった。少し大きめのリュックを背負って、石畳の歩道を歩く。植民地時代の建物は、まるでヨーロッパの映画のようで、その中を歩いている。到着した宿は、少し古ぼけた建物だった。ギシギシ言う階段を昇りながら、外観の素晴らしさと安宿の侘しさに閉口してしまっていた。そこがなんともメキシコっぽくも感じて、可笑しくもあった。

 部屋は、格安のドミトリーで中には先客がいた。そこで一人の男がベッドに腰掛けていた。褐色の肌に黒い大きな目と黒髪、一見するとメキシコのモレノ(褐色)の男性のようだったが、体がメキシコ人の倍近くあった。二メートル近い大柄の男で、雰囲気はどことなく洗練された感じを受けた。メキシコの人に見えるのだが、なんとなく違う。そう、外国人が持っている雰囲気だった。その男は、気さくでとても話しやすくすぐに打ち解けることが出来た。話によると、彼はメキシコ人の両親を持ちアメリカで生まれたメキシコ系アメリカ人とのことだった。その当時は、アメリカ生まれのメキシコ人を指すチカーノという言葉すら知らず、彼の話すアメリカの話は面白かった。彼はテキサスのオースティンというところの出身でそこはとてもいいところだと彼は言っていた。未だに覚えているのが、テキサス州は殆ど選挙では共和党が勝ったんだけど、オースティンだけは民主党が勝ったんだぜと自慢げに話してくれた。
「ところでさぁ、何でグアナファトに来たの?」
 短く簡単な質問だったのだが、彼は少し沈黙してから答えた。
「……有名な観光地だからね」
 なんとなく予想していた、期待していた答えとは違う気がしたけど、そんなもんかと思って聞き流した。
 いろいろなことを話すうちに僕は彼の話すオースティンが見てみたいけどなぁと思いつつ彼とその日を過ごした。どちらから誘うわけでもなく、何故か彼と一緒に街の中を歩いていた。いつの間にか、僕は出会いたかった誰かに出会っていた。こんなにも簡単に。その人は、メキシコの人だけど、メキシコの人じゃなかった。また自分の頭の中をグルングルン回り始める。

 彼の友達のアメリカ人の女の子がグアナファトにやって来るというので、二人でその女の子達が泊まると言っているホテルまで歩いて行った。それは昔のお城をホテルに改築した場所で街中からはとても離れた丘の上にあった。テクテクと二人で歩きながらそのお城まで着いたときは、二人とも汗だくになっていた。疲れきって丘を登り切ったはずなのに、そのお城はものすごい豪華で自分達の泊まっている宿とはエラい違いだった。アメリカ人はこういうホテルに泊まるのか、と思った。まぁ、僕の隣にいるのもアメリカ人のはずなんだけど、スペイン語で話してるし、外見もメキシコ人っぽいし、僕らには今の宿の方が落ち着くなとも思った。どんな女の子たちなんだろう。彼と同じような褐色の大きな子だろうか。
 彼はお城のバルコニーに手をついて、街に落ちる夕陽を眺めていた。その視線は、街よりも別の何かを見ているように見えた。
「そのさ、友達の女の子はどうしたの?」
「さぁ」ペドロは、前を見つめたまま答えた。
 なんとなくその言い方で、ここにはいないんだろうということが分かった。
「あれ、ここに泊まりに来るんじゃなかったの?」
「いや、いないからさ」
「そう」
 よく分からないまま尻すぼみになりながら、誰も来なかったお城の中で二人で佇んだ。周りにはスーツを着た宿泊客がいた。もしかしたら誰かの結婚式が始まるのかもしれない。僕らは薄汚れたスニーカーに短パンで、おまけにシャツまでグッショリだった。言葉は交わさず、ふたりとも追い出される前にホテルを出た。
 
 夜はカラオケに行って彼と一緒に、カフェタクーバのイングラタという歌を歌った。この歌は、メキシコの僕らぐらいの歳の世代には直撃のアンセムソングで、カフェタクーバはこの曲で一気に時代の寵児になった。赤い髪をしたボーカルのルーベンが市場で鶏肉の間から顔を出す。その曲を知らなかった僕は意味も分からず、一緒に叫んでいた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
Ingrata 
Cafe Tacvba

最低だよ、俺のことが欲しいなんて言うなよ
俺のことを憧れてるとか、愛してるとか、恋しいなんて言うなよ
もうお前のことなんか信じてないよ

最低だよ、俺が苦しんでるのを見るんじゃねぇ
頼むから、俺なしじゃ死にそうだなんて今日は言わないでくれ
お前の涙は偽物じゃないか

最悪だよ、俺のことを憧れてるなんて言うなよ
お前の唇が出来ることなんてもうないって気付いたよ
おれのこの口にな

だってお前が来たこと知ってるぜ
俺の愛情を覚えてるんだろから
だって俺は本当に悲しいんだ
誰にも俺が苦しんでるのを見て欲しくないんだ
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 歌った後、何か面白いことがないかと二人で夜のグアナフアトの街を歩いた。グアナファトはトンネル、地上、階段の三層構造になっていて一つ一つの道が狭いから街中はまるで迷路の中を歩いているようになる。闇雲に歩いていると、もしかしたら何か面白いことに出会えるかもと思いながら、黙々と歩いた。二人とも同じ気持ちだったと思う。何か面白いことないかなと思いながら歩いていた。たまたま知り合った外国人通しで面白かったんだから、何かまだ面白いことがあるかもと思いながら歩いていた。夜の誰もいなくなった、犬もいなくなった通りまで歩いた。そのうち一軒のバーに辿り着いて、その中に入っていった。バーで、彼は直ぐにそこにいた人と仲良くなっているように見えた。

 彼はメキシコで本当に生き生きとしているように見えた。それはそうだ、僕とは違うんだ。スペイン語はペラペラ、そしてアメリカ生まれでガタイもデカい。人生の楽しみ方を知っているように見えた。なんだか彼がズルをしているような気がしながら、僕は少しだけまた一人に戻ったような気がしていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最低さ、お前がそうしたいとしても
あの日々の思い出、とっても暗かった夜
お前は消すことなんてできないよ

だからさ、お前にやってやるよ
お前が痛がるぐらい抱きしめるんだ
お前がいなくて悲しかったとしてもさ
お前が死ぬまで一緒にいるよ
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 お城で彼は何を思っていたのか。来なかった女の子達のことを考えていたのだろうか。
 
 それとも……と、僕は思う。
 
 もしかしたら僕と同じで、メキシコのことを考えていたのかもしれない。僕らは歌詞の中の男のように、恋焦がれるように、失ったメキシコを探しているんじゃないか、と。あくまで僕の想像だけど。そう、あくまで僕の想像なんだけど。

 彼の名前は、ペドロと言った。

 数年後、彼に会うためにメキシコシティから車でアメリカを目指した。途中にとても高い壁があることを、この時はまだ知らなかった。

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