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隠しきれないいのちの力強さに祝福を

先日の個展で、数多のいのちの祝福を受けた。自己信頼はゆらぎをもって育っていくように思う。

GCIでのプロセスワークclass、グループ展に向けた創作が同時に大きなうねりを起こし、ありのままのわたしのなかの『強さ』『激しさ』『大きさ』を受容、承認する気付きがあった。

どうしても人というものは、自分の持つパワーを過小評価するようだ。それは、パワーを発露すると、人とペースが合わなくなり、ひとりぼっちになるから。仲間がいつの間にか仲間でなくなっているから。

でも、そこにパワーがあるのに、無いことにはならない。隠そうとしても周囲が、機会が、世界が放っておいてはくれない。

GCIのClassでは講師であるRhoにShortSessionをしてもらった。深い関係を持つことへの恐れを取り扱ったが、emergeしてきたのは喜びも悲しみも含めて、心が揺れ動くシーンを常に求めているということ。心が揺れ動く、使われているのは、ものすごくいのちが立ち現れる瞬間だと思う。

SencientにもDynamicにも、こころが揺れ動く瞬間が、めちゃくちゃ生きているな、と感じる。だから、自分の人生には、こんなにも内面の変容が多発するのだし、外側の現実世界でも同時多発が起きる(正確には呼んでいる)のだと理解した。

重なるのはそれとして、どうしてこんなにもDeep / Bigな出来事ばかりなのか。それは、わたしがそこに耐えうるパワーがあるから、育つからなのだろうと感じている。

グループ展に向けつつも、ひとまずは現在の座標を印すつもりで絵を描いた。

アウトプットへのフィードバック、表現のプロセスやともにいるなかでのフィードバックが、自分が想像する何倍も大きなポテンシャルを引き出してくれた。

ストのパワーに驚かないひとがいいよね、ストさんはすごい!って言われるのはちょっとちがうんだよねきっと

ストちゃんとはまた違った分野のプロフェッショナルだと、刺激も受けて、いい気がするな

kousaten

毎度、持ってる種のポテンシャルがえぐいなぁと思ってて。 その鉢だと10日後には発芽して根も幹も馬鹿でかくなってるから、鉢もこわれますけどって感じてて。w ジャックと豆の木的な。

目測が、人間的だけど。 潜在ポテンシャルは宇宙だから、どーしても壊れがちというか収まりきらない印象がある。

デイダラボッチ的なね。スケール、あわせずいこ。

Shunsuke

たしかに、今回は手を止めることが少なかった。少し違うなと思っても、雑巾で拭いてすぐに次に入る。思っていたものと違うものになっても、そういうことなんだなと受け入れて、ただひたすら今を重ねていく。何になるのかは分からない。後半は衝動のままに描いたように思う。迷ったら入る、入れる。

あ、そう、破壊。破壊のエネルギーが、先日絵を描いてからというもの、emergeしている。

強さや勢い、そんな感覚から、幼少期も本来はそういう気質だったなと思い返す。破壊的な、衝動的な子供の側面もあった。自分のパワーが自分で抑えられない、コントロール出来ないというところから、メタ的に物事を見たり感情を殺したりしてきた。破壊衝動をすり替えたり、隠してきたりした。

あー、もう隠したり、合わせたりしなくていいんだ。本当の意味で、そう感じた。

ストさんはすごいね!と言われるのは、嬉しくて、悲しくもあった。評価はしてもらえて、でもどこか切り離されるようにも感じることがあった。

随分、自己信頼と分からない人は置いていくつもりできたけれど、パートナーシップという点での過去のidentityにありがとうとさようならをまた深く、伝える事が出来るような気がしている。もしかしたら現世では私のスケールを維持したまま、ともにいつづけられる人はいないのかもしれない。

でも、それでいい。生きたいように生きる。

2022.03.02 9:00 @tokyo setagaya

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