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感情が怖かった。受け入れられなかったらどうしよう。

ずっと気になっていたことがある。

私が描くものには、いつも手を添えているなあと。何を守っているんだろう?何を大切にしているんだろう?

自分では見えていなかったものが、少しずつ繋がりを生んでいくのを感じ、言葉にしたくなっている。

Dec, 2020.

March, 2021.

April, 2021.

手が語りかけてくるもの

ひとりの世界から、つながりの世界が立ち現れた。4枚目の絵を描きあげていくなかで、どうも真ん中の空間がスッキリ余白があるのがモゾモゾした。少し、怖かった。そうして、緑の手を書き加えた。

最近浮き上がってきた、親しいつながりで起こるブロックをきっかけにセッションで取り扱ってもらった。そのプロセスで、この手は守っているようにも、隠しているようにも見えてきた。

自分を守っているようにも、他者を守っているようにも受け取れる。潜在意識からずっと、なにかを伝えてきたものがあるのかもしれない。

感情の怖さ

この手を外したらどうなるんだろう?と描きだしてみたもの。ああ、ここで流れ出すエネルギーがColorfulだったのか。それを抑えていたんだとしたら、自己拒絶な状態、自己信頼をテーマにしていくのも頷ける。

わたし自身が、いのちの流れを抑圧していたんだろうな。

これまで自分がアップデートしていくたびに、周囲の環境や友人関係の新陳代謝を起こしてきた。いま向き合っているのが、元々あったつながりを大切にし続けたまま維持していくこと。そこで起きていそうなのが、「変化したわたしが受け入れられないのではないか」という恐れ。

不安から感情が巻き起こる。わたしの感情はとても恥ずかしがり屋で、わたし自身からも隠れてしまう。何かがそこにいるけれど、賢さを使った表現になる。遠回しだったり、もっともらしい言い方をしてしまう。

それは「悲しい」「寂しい」「会いたい」「わたしを見てほしい」。そういうもの。恥ずかしがり屋はシャドウになっていたみたい。

感情を出すのは恥ずかしい。いつもと違う自分になる気がする。(いつもと違う、がシャドウの匂いを感じる)含んでいくのかな。

相手を思いやることが愛だと想っていた。それも愛。でも、たとえ間違えてでも、不器用にも感情と想いを伝えるのも愛なのだと思う。

これまで、パートナー、親しい関係には「どうやったら受け取ってくれるんだろう」と不安になって、チューニングや変形をして渡そうとしてきた。そしたら、違う色になっていたのかもしれない。カラフルが混ざりすぎて、濁っていく。

濁ることが悪いわけではないし、濁ることもある。そういう捉え方をしたい。

もうひとつ気になっていたこと

年明けてから、自分や色んな人に小さな✗をたくさんつけていた。ジャッジの嵐。

それは、Colorfulさが羨ましくて、反応していたのかもしれないなと思う。大切にしたいものほど、道を踏み外したり間違えることが怖かった。臆病だった。

大切にしたい気持ちが強くなりすぎて、石橋を叩いて割ってしまう。小さな✗をつけている自分は、なんだかとっても苦しかった。

「なんだかとってももやもやしていて、あなたのことがわからない」そうパートナーに伝えたけれど、苦しかったのは自分が色んなことに✗をつけていることも苦しかったのだ。

エネルギーの流れ

自然なエネルギーの流れ、パートナーとのありたいエネルギー交換、いま起きていること、外から入ってくる色を選別していること。

入る色の選別はしているけれど、あなただから色が混ざってもいいと思っている。人も多面性があり、カラフルなはずなのに単色で見ていたり、何色なのか見えていない。だから、何色を渡せばいいんだろう?と、出す色を選んでいる。色を間違えたくはないので、こんな色なんじゃないか?と足して、また足して足して。

元々イメージしていたものとは違う色のまま投げて、伝わりたいことが伝わらない。

本来、人から出てくる色に間違いなんてない。受け取れない、受け取られないシーンがあるだけだ。

出したい色をそのままに出していい、ということを体感していく、そういうことが起こっていく。パートナーも、わたしも、同じテーマと向き合っている。投影も起きているんだろう。わたしとすれば、大切にしたいのに、ともにいるのがつらくなる。

色んな色とエネルギーを渡したくて、でも受け取られないのがこわくて。受け取ってくれる人とともにいればいい。大半はそれでいい。この人とともにいたくて、それでいてエネルギーの渡し合いをするのは、ていねいに時間をかけていくものなのかな?誰かに執着するのは、よくないこと?

たぶん、わたしにはまだ、その辺りは視えていません。

April 11, 2021.

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