資本主義の1本隣の路線、もしくはその向こうに
実家の土地と家をホームベースとしながら、例えば、時々海外での暮らしをする。フィルムが高速連続するように、景色を変えていきたい。
二居住というのも、あるだろう。きっと、『いつか』はタイミングを選んでは来ない。なんでもかんでも、Readyなときに来るわけではない。でも実は、潜在意識ではReadyだったりする。掴みとるとき、『いまがそのとき』と選択したとき。
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アイデンティティ、ルーツは隠せない。主体にとっては、ごく自然にヘルシーに場に立ち現れる、と思う。にんげんとしての営みを大切にしたい。
ゼンマイ時計の秒針がカチコチ鳴って、00分、30分には鐘が勢いよく鳴り響く。資本主義で生きる私にとっては迷惑に感じるだろうし、いまここにあるわたしにとっては自分のリズムを整える心地よい音に聞こえるだろう。
Twitterでは1〜2年と言ったが、たぶん半年から1年で答えを出すのだと思う。言うなれば、運命の分岐点にいるんだろう。いつだって運命の分岐点のような気がするが、多分そう。
自分なりの解の先で。資本主義の中心でサブスクを更新するのか、また違った選択をするのか。
たぶん、資本主義社会にありがとうと伝えて、精神的にも金銭的にもヘルシーで豊かさを探求するのかも。もしくは行き来をするのかもしれない。
秋の風を受けながら稲刈りをしていて湧いてきたのは、このいのちは何を学ぼうとしてるんだろう?ということ。全てが海外留学、インターンシップのように捉えている。全てがコンテンツ。
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知らない誰かと家族になる、というのは想像がつかない。わたしがわたしを明け渡して、わたしがわたしでありながら、わたしたちになることができるなら考えてもいい。
さいきん、犬や猫とパートナーシップを結ぶ生活に惹かれる。石田ゆり子さんのような。
未来はこれからも、にこにこしていたい。
2021/09/13 @ibaraki
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