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身体はだれのもの?というはなし

扁桃腺が腫れて口が開かなくなった。
1cmくらいしか開かないからとんかつが食べれなくて苦労したので、病院に行ったら即点滴。
点滴って不思議だ。
刺して液体が吸収されるに従い、段階的に口の中の味が変化したりする。
口からではなく血管から直接食べている感覚。

からだの主人はだれのものか?

以前、睡眠のことを書いた時
体の構造について「長くなるからまたにする」と記入してたことを書こうと思う。

結論から言うと「自分の体は自分のものではない」ということだ。
僕は人間の体の構造は「意識、脳、肉体」という3つのパーツで捉えている。

では「肉体」は誰のものなのか?
それは簡単、肉体は”細菌”のものだ。
”あなたの体は9割が細菌” アランナ・コリンを読むと細菌、正確に言えば”微生物”のものだと言う。
自分の体と呼んでいる細胞1つにつき9つの細胞がヒッチハイクをしている。
9つのヒッチハイカーは細菌や菌類なのだ。
これは自分の体を細胞として数えた場合の話だ。



人体に棲むこれらの微生物を合わせると遺伝子の総数は440万個。
これがマイクロバイオータのゲノム集合体、つまりマイクロバイームという。(らしい)
微生物の440万個の遺伝子は2万1000個のヒト遺伝子と協力しながら私たちの体を動かしている。
遺伝子の数で比べると、あなたの人の部分は0.5%でしかない。

お分かりであろうか?肉体のほとんどは肉体を構成するための微生物との共同作業で成り立っている、しかも人間の部分は遺伝子で言うと0.5%しかない。
わかるかい、0.5%って事実が。



マイクロバイオータ(microbiota)はある環境中の微生物を指し、マイクロバイオーム(microbiome)は微生物が持つゲノム情報の総体を指す用語である。 ヒトは総数にして600兆から1000兆個の微生物と共存している。

ここで大切なのは、自分の体は自分のものではないと言う感覚を得ることだ。

進化するための外部委託


人間は肉体を維持するためにオープンソリューションを選んだ。
外部委託をしたわけだ。
牛もまた然りで、牛は草食動物ではあるが、牛の遺伝子だけでは繊維質の草から栄養分を取り出すことが出来なかった為、頑丈な細胞壁に閉じ込められた栄養分を手っ取り早く得るために、その道のプロを招いたというわけだ。
牛の胃にある4つの部屋には植物繊維を分解する微生物が無数に棲み、牛の咀嚼と胃でのプロたちによる科学的分解作用をの何往復かをし効率よく吸収する。

これは進化の過程で生物の選択した最善の方法だった。
自らが進化するより外部委託した方が安上がりです速く効率的だ。

考えてみたら僕はいま新しいプロジェクト幾つかを推進している。
そして、その協力者は社内でポートフォリオするのではなく外部のプロの人たちと進めている。
というか進める形に気がついたらなっている。
これが一番”自然”に近い会社の形だろう。
必要に応じて必要なだけ。
ただ、これが一番大きなネックだが「経済貨幣でのリレーションシップだけではない」関係性ということだ。
お互いにギブとテイクと言う関係ではなく、ギブとギブの関係性であることが”自然”なのだ。
この感覚は少し説明が必要だが、人間の細胞と微生物との関係は等価交換というよりギブとギブ(どちらが価値があるか、優位かなどの価値観の延長線上にない)感覚だ。

ついついこの辺のことを詳しく話したくなるけど、伝えたいのはそこじゃない。
私の体は「私のものではない」という感覚だ。
僕はこの感覚を書籍やテレビから得たのではなく、感覚として理解した。

脳はじぶんでなくスーパーコンピュータのようなもの


そのきっかけは「脳」の使い方だ。
脳の使い方は以前書いたnoteをみていただけたらいいと思う。
簡単言うと、脳はスーパーコンピューターだ。
昼間徹底的にインプットすると寝ている間に脳は整理し処理を施し、なんなら答えを出してくれている。

この感覚を知らない人があまりにも多い。
脳は人間の体をオートマチックに動かすことができる自動運転機能がついている最高な機能なのだ。
しかし、この脳を動かして答えを”自分”で出そうとしている。
違うんだ、何度でも言う。
脳は放り込んでおくだけで寝てる間に答えを出す機能を持っている。

これが認識されにくいのは”脳”と”意識”がごっちゃになっていることが原因な気がする。

意識とはなにか

科学で唯一存在を明らかにできていないのは”意識”だ。
”脳”と”意識”とは違うものだ。
それは瞑想をすれば簡単に証明できる。

瞑想で「無になる」ことをする。
「無になる」ということは思考が全て停止し「無」になるということだ。

しかし、ほとんどの人が「無」になることができない。
「あのLINE返信忘れてた」とか「ご飯何食べようかな」とか「無になるってどんな感じだ?」とか思考がとめどもなく思考が暴れ回る。

これはなんだ?「その鍵とって」と言われたら、然るべき手で鍵を持ち上げ相手に渡すことができる優秀な脳なのに「無になる」ということすらできない事実。

これは”脳”の素晴らしい機能(自動運転機能)の証明と同時に”意識”の存在を捉える一歩となる。

脳は勝手に処理してくれる機能であり、肉体は微生物のもの。
では”私”とはなんなのか?
これが”意識”だ。

瞑想をしはじめて10年くらい経つけど、「無」の感覚に近いものを得たのは最近だ。
言葉で表現すると「無」ではあるが感覚的に草木や太陽、周囲の人々や全ての万物と繋がっている感覚だけが残る、ただの感覚にすぎない。

そこには肉体としての自分や”脳”の認識的自分は存在しない。
感覚的な自分であり、自然と一体となった自分と言う感覚。
そしてそれは何故だか多幸感に溢れている。

脳がスーパーコンピューターなら”意識”はサーバーだろう。
しかもクラウド上のサーバーで他者との意識とも繋がっている。
この感覚はあまり一般的じゃないかもしれないが、僕は最近感じる。
他者との意識は繋がっていると言うことを。

言葉にするとこんな感じだ。
ちょっと危ないやつみたいだが、これがちょっと危ないやつにみられるんだと客観的に認識しているだけマシだろ?

例えると人間はレンタカーを借りている運転手のようなもんだ。
運転手=意識であり、レンタカー=肉体、エンジン=脳
みたいな関係性であろう。
右に行きたいと意識が思えば、レンタカーも動く。
エンジンが止まるともちろん、動かないが意識が残っていることがある(脳死)。
運転手が死んでしまっても肉体は生きている場合もある(意識不明)。

この関係性を理解することが非常に大切だと考えている。

例えば企業も同様だ。
社長と従業員の関係は意識と肉体(細菌)との関係性だ。
意識がいても従業員が辞めてしまえば体は機能しない=倒産する。
逆も然りだが、社長に求められるのは思想だ。

長くなってしまったのでこの辺の話はやめておこう。
伝えたいことは”自分”とは肉体と脳と意識をごちゃ混ぜにした”自分”ではなく
”自分”とは”意識”でしかない。
という事実に気がつくと言うことだ。

肉体は”微生物・細菌”のものであり、おかげで維持してくれている。
だから体には感謝をするべきだ。
手や足、目や鼻を撫でながら感謝の言葉を伝えよう。
”脳”はスーパーコンピューターだ、その機能を信じて任せてみよう。
昨晩も全ての処理を終えた”脳”が僕に答えをいくつかくれていた。
メモをミスって削除されてしまったけど。

そして”意識”を理解しよう。
これは毎日”違う自分を生きる”というチャレンジと、周囲の人を”褒める”という行動によって鍛えられる。
瞑想は言わずもがなだ。
”意識”を鍛えるとさまざまなことが変化する。
時空を超え、0.000%な可能性の出来事が起こりまくり、同じ感度の人と出会う機会が増え、目指したことに向かって達成していくのではなく、目の前にあることがすべて達成されていくために勝手に積み上がっていく。
これを説明するのは難しい。
でも僕と共に毎日を過ごすとわかるはずだ。
周囲の人はそれが何故起こるのかはわからないが、可能性0%のことが毎日のように起こっている。

つながっている感覚

昨日、とても素敵な女性と初めてzoomMTGをした。
その出会いも可能性0%の出会いだったけど
3時間も話した後に彼女からLINEできたのは
「一度寝かせてからどんどん整理される頭の構造なので、今はしばらく良い余韻に浸ります」
という一文だった。
この女性はすでに脳の使い方がわかっていると言うことだ。
そしてそれがわかっている人はつながるのだろう。

身体との対話

点滴を受けながら口の中の味が変化するのを感じながら日々のルーティーンを見直した。
食事は1食、睡眠は4時間くらい、労働時間は1日13時間くらいの中、無理しているのだろう。
心は幸福感で満たされているが肉体はハードウェアなので物理的限界が来る。
改めて一つ一つの細胞に(ヒッチハイクしている外部委託の微生物たちに)感謝を心から感じた。

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