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いつ死んでもいいように。

今からちょうど3週間前、10月14日の午後12時、じいちゃんが亡くなった。3年ほど入所していた介護施設のトイレで心臓が止まり、病院での処置もむなしく、そのまま戻らぬ人になってしまった。

介護施設からの電話をうけ、僕は両親とともに病院へと急行した。救急の受付を手早く済ませ、じいちゃんのもとへと駆け付けたちょうどその時に、救命処置が終了したようだった。

じいちゃんの横に設置された心電図モニターの波形は、フラットになっていた。それから、医師が触診や聴診をした後、死亡宣告がされた。

じいちゃんの体温を覚えておきたい…。僕はじいちゃんの右手をそっと握った。じいちゃんのあたたかさが、手のひらを介して伝わってくる。それと同時に、じいちゃんとの思い出が堰を切ったように溢れた。

祖父は、中学校の校長先生だった。もともとは理科の先生だったから、学校の授業や宿題をよく教えてもらった。おかげで、理科の成績はなかなかよかったよ。

小学校の自由研究では、「アリの実験」と言うテーマのもと、本格的な実験をやったっけ。

家の周りに生息しているアリを捕まえて種類を特定したり、アリの歩行速度を測定したり。じいちゃんと二人三脚で頑張った結果、市から最優秀賞で表彰されたよ。

中学生だった頃、じいちゃんと一緒に、近所をよく散歩していた。ある時、将来の夢の話になった。

「ブラックバス釣りのプロになる!」と、僕は豪語したんだ。じいちゃんは、「大きな夢だな。でもそれで食べていけるのか?家族を養っていけるのか?」と言った。

大人になった今ならわかる。食べていくのはなかなか難しいよ、じいちゃん、ほんまに。

さまざまな紆余曲折を経て、結局僕はフリーライター・編集者になった。フリー歴10か月の、生まれたての赤ちゃんだ。

これからさき生きていくなかで、予想もつかない困難やトラブルに見舞われるんだろう。悲しさや辛さなんかも容赦なく襲ってきて、僕の心を揺さぶってくるに違いない。なにより、金銭面の苦労は避けられないんだろう。

でもさ、何とか頑張ってみるよ。僕はもう会社員に戻りたくないし。じいちゃんみたいに、“確固たる自分像”を手に入れたい。

“いつ死んでもいいように、日々の生活をできるだけ後悔しないように過ごす”

じいちゃんの死と向き合った僕の、これからの人生の決意表明。

僕はやるで、じいちゃん。だから、上から見ててくれよな。



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