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今私の周りを回る星。

「夏目漱石」が私の周りをぐるぐる回り始めた。


最近そんな心地がしてならない。




私はよく自分のことを、惑星のようにとらえていることがある。

一体何を言い出すのだ…
と思われそうだけど、これはあくまでも物のたとえだ。


 宇宙にぽっかり浮かんで動かない星でいると、流れ星がたくさん飛んでくる。

自分のそばをかすめて遠い暗闇に消えていくものもあれば、軽くぶつかるもの、磁場をみだすもの、そのまま衛星になって、くるくる距離を保ちながら、しばらくそばを周回し始めるものもある。

 時に、特大級の隕石に見舞われ、回避できずにがつーん!!!とぶつかり、星自体の生態系をガラッと変えてしまうこともある。
恐竜絶滅。氷河期到来。みたいなね。


 つまるところ、なにが言いたいのかと言えば、これは私の好奇心や興味、かるい言い方をして「マイブーム」による影響を表している。

飛び交っている星の群れは世の中にある、音楽だったり、本だったり、人物だったり、ありとあらゆる事象や知識だ。

私は一所に揺らめいて、次は自分のところへ何がとんでくるのかと待ちわびているのだ。


なぜこんな考え方に至ってしまったのかと言えば、何かに興味を持つ時に、どこか向こうから迫ってくるものを感じることが多いからである。
興味を持ってわくわくして調べると、ちょうど関連する映画をやっていたり、本が出版されたり、調べずとも思いもしないところで出くわしたり、偶然に目の前に現れる頻度が上がるのだ。

ひとえにそういうアンテナが立っているから、余計に目につくだけ、のことかもしれないけど。
そういうシンクロニシティみたいなものを感じる瞬間がとても好きだ。



8月は夏休みと称して5連休がある。
3連休は疲れていて結局だらだら過ごしてしまったけれど、この連休はなにか有意義なことに使いたい…。

そんなことを思いながら昔買った古い情報誌をめくっていると、「漱石山房記念館」をみつけた。
文豪、夏目漱石の記念館である。

思えば、夏目漱石って読んだことがない。
教科書に載っている「こころ」の断片を読んだ切り。
イギリスの授業で留学時代の話をかじった切り。
実に知識が乏しい。

 最近、太宰治を初めて読んだ。(noteでも何度か登場しているけど。)
探っていくと、太宰治は芥川龍之介にあこがれていて、その芥川龍之介の先生とも呼べる人は、夏目漱石だったということが分かった。
つまり、いろんな文豪が歴史上にはいるけれど、その中でも特に最高位にいらっしゃるということが、文学史素人の私にもなんとなく見えてきたのだ。

弟子?の二人は読んだことあるのに、一番の祖を読んだことがないとは。
これは、一度読んでみたほうがいいな、と思い始めていたところの、記念館の発見だった。

よし、休日はここに行こう。そして、漱石先生の本を読もう。
やりたいことができた。



とはいいつつ、最近暑さに負けていて、積読本がたまっている。
こいつを片付けなければ、「吾輩は猫である」も「こころ」も「三四郎」も「坊ちゃん」もないのである。


ということで、一番大好きな北村薫の「遠い唇」という短編集を読んでいたら…
「解釈」という話の中にひょっこり漱石先生が顔を出していた。
(これ、すごく笑っちゃう話だからぜひ、読んでほしい。)

こんな偶然もあるもんだなーと思って、ますます行くのが楽しみになった。


そうして、あくる日。会社で。
探し物をしていて、過去の書類の山を探っていたら、ある一枚で目が留まった。宛名に「漱石山房記念館」の文字を見つけてしまったからだ。
自分が馬鹿になったのかと、なんどか見直したけど、確かに書いてある。
ひょんなところで出会ってしまった。

もうこれは絶対行かなければ、という気になる。

そんなこんなで、夏目漱石が私の周りを今、ぐるぐるしている。


連休が楽しみだ。

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