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変わりゆく中で、変わらずにあり続けるもの。

はじめまして。

トトロの舞台にもなった狭山丘陵地帯、埼玉県のお茶の名産地のあたりで、鍛冶仕事をしているMetal NEKOの金子と申します。

鉄を真っ赤に熱して、ハンマーで打ち鍛えて様々に形を変え、日常の暮らしの道具から雑貨、インテリアや建築金物、手すりや門扉など、いろいろと制作しています。
ただ最近は、鉄のフライパンがご好評をいただき、ここしばらくはほとんどフライパンや鉄鍋ばかり作っていました。

鍛冶仕事、というと、代々続いてきた家業のように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私の代から、私が勝手に始めた仕事です。

もともとは、何かを作る仕事で、社会と関わりたいと思っていたので、一度はメーカーに就職しましたが、いろいろありまして、いろいろ考えた末に、自分自身で作る手仕事の世界に進むこととなりました。

一から、いやゼロから?学びなおし、住み込みで働いたりもしつつ、Metal NEKOとして独立したのは2006年。早いもので、もう16年が経ちました。
そんなわけで、先祖代々、家業として受け継いできたものもなく、根無し草のようといえばそうかもしれないですし、縛られるものも囚われるものもなく自由、と言おうと思えば言えるのかもしれませんし、ただそうであるが故の試行錯誤をずっと繰り返してきています。これまでもそうですし、これからもそう。

ただ、そういった、目に見えやすい形での、直接「受け継いできたもの」はないに等しいのですが、形には見えにくい何かを、ずっと「受け継いできた」ことは実感しています。

それは仕事の上でのことであったり、技術的なものであったり、何かの形であったり。
そしてまた、性格や気質、のようなものであったり、もっと本質的な部分のものであったり。

私は祖父母を一人しか知りません。
母方の祖父は、私が生まれる前に亡くなりました。
父方の祖父母は、父がまだ少年だったころに亡くなりました。
東京大空襲ですべて焼かれて失い、戦後の混乱期に亡くなってしまったそうなので、写真も何も残っておらず、面影さえ伺い知ることはできません。

それでも、私が父を見たり、子供を見るときに、ふとしたしぐさや行動、性格や気質に自分と同じものを見るとき、あぁ、やっぱり自分は父の子だな、とか、やっぱりこの子は自分の子だな、と、血のつながりのような、何か受け継がれているものを感じることがあります。
それと同じように、祖父母から父へ、確かに受け継がれてきたものがあり、それが私にも、子供にも受け継がれていくのでしょうし、もっと前へ前へと遡っていっても、先祖代々、ずっと何か受け継がれてきたものが、確かにあるのでしょう。
そしてもっともっと、ずっとずっと遡っていって、人がまだ人ではなかった頃からも、ずっと。

その時々の流行や時代や文化が変わっても、受け継がれていくもの。
様々に変わりゆく中で、それでも変わることなく、確かにそこに流れているもの。
気がつけば、いつの頃からか、私はそういうものを探し求めているようになりました。

移ろいゆくように姿形を自在に変えながらも、その根底では変わらずにありつづけるもの。

そんなものを、私は探していて、
そんなものを、私は追い求めていて、
そんなものを、私も形作れたらと。

今、目まぐるしく急速に変わりゆく世界の中で、それでも変わることなく大切にありつづけられるような何かのために。

今はまだ、形にならないけれど、確かにそこにあるような「なにものか」を、紡いでいければと思っています。

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