私が『よかれ』を仕組み化したいワケ

質問の回答として書いたんだけど、結構自分の中の整理になったので、保存のために載せておこう。

---

私は、人は他の人や属するなんらかのコミュニティに貢献する本能を持っていると思っています。それは、もしかしたら人だけではなく、全生物がそうである可能性があるとさえ。

それは、良心とか善意などという耳障りの良いモノではなく、生き物の生存戦略だと考えています。

それを、私は「人はみな『よかれ』と思って行動する」と表現しています。

人はひとりでは生きられない。だから、他者に自分の存在価値を認められる必要がある。自らの価値を高めることが、他者にとって自分をより良い条件で生かす理由となるから、人は自らを高めようとするのではないかと。

だから、その自分が持つ貢献欲と成長の欲求を素直にまっすぐに発揮して生きればいい。それこそが、ひとりひとりが心地よく生きる方法ではないのか、と。それを、「ゴキゲンに生きる」と表現しています。

且つ、私の場合は、心地よくあるためには、自分の認知出来る範囲の生き物がみんなゴキゲンな方が良い。自分がそうなのだから、みんなそうなのだろうと思います。だから、「みんなゴキゲンな世界」が欲しいわけです。

で、あとは、効率的にゴキゲンを最大化するためには、ひとりひとりの行動が有機的につながり、仕組み化することが有効なので、『よかれ』を仕組み化することが、自分のパーソナルミッションなわけでして、それを、会社のミッションステートメントにも書いちゃった、というわけです。

で、みんながゴキゲンであれば、それで良くって、別にそこに自分が影響を与えていようがいまいがどっちでもいいし、自分がどう認知されるかということ自体、問いにもならない。みんなゴキゲンなのが自分もサイコーにゴキゲン、という、究極の Selfish は 究極の Unselfish とイコールなわけです。

ところが、現代社会においては、なんか、余計な概念がいっぱいあるなー、それで、不幸になっている人がいるなー、と。

- 自己承認欲求?それいる?
- 褒められたい?そんなこと考えるCPUリソースは創造的なタスクにまわしなはれ。
- 他者比較?それより協力し合った方が効率的じゃね?
- 何競い合ってるの?そのエネルギーは建設的に使いなはれ。
- 他の人蹴落とすとか、意味ある?
- 倍返しとか意味なくない?(だから半沢直樹に興味わかない)
とか思って日々ザワっとした不快感を感じながら生きないといけない状況なわけです。

そんなわけで、私から見ると生産的で非効率だな、と思う、そういう諸々がなくなって、みんなが素直に『よかれ』を行動にうつし、その成果がより調和的に働いてより大きな成果を生み出すシステム化が出来ればいいなー、と思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?