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樋口一葉より にごりえ

「寄っておいでよ、お寄りと言ったら寄ってもいいじゃないか。また二葉屋へ行く気だろう。追っかけて行って引きずって来るからそう思いな。ほんとに湯屋に行くなら、きっと帰りには寄っておくれよ。ウソついたら何言いふらしてやるか、しれないよ」
 ヒロイン、お力のセリフでこの物語ははじまります。
 すらりとした体つきに胸もとまで着物のえりをくつろげ、立膝でたばこをスパスパ不作法に吸いながら、なじみ客に声をかけているシーンです。
 お力がいるのは「菊の井」といって、二間間口の二階建ての建物。景気のいい娼館です。
「力ちゃん、おまえのことだから気にしてはいないだろうが、わたしは源さんのことが身につまされて心配だよ」
 とは朋輩のお高という娼婦のセリフです。
 かなり年上のなじみ客、源七という男が「菊の井のお力」に夢中になり、店の身代をつぎこんで、いまでは日雇いの「土方の手伝い」をしているらしいのです。
 お高は言います。
「源さんが女房のお初と離縁しても、気位が高いお力ちゃんは源さんと一緒になろうとは思わないだろうね。それでも手紙くらい書いてやらないとかわいそうじゃないか」
「人聞きが悪いねぇ。手紙などやって、菊の井のお力は土方の手伝いを情夫に持つなどと考え違いをさせちゃいけないじゃないか。源七さんとの仲はむかしの夢物語さ」
 さばさばとしたお力の態度に、娼館での三味線の音やお酒を用意するときの喧噪が重なります。

 そんなお力を気に入る男がいます。
 三十年配の山高帽をかぶった客で、自ら「道楽者」と名乗る無職で妻子なしの
「結城朝之助(とものすけ)」
 です。
 明治時代にありがちな、高等遊民。
 高い教育を受けたものの財産があるために労働する気がなく(また生活のために労働する必要がない)洒脱な男。
 伝法なお力が、
「いやなお人には酌はせぬというきまりでござんす」
 と言えば面白がって
「素性を聞かせろ。きっと凄まじい物語があるのだろう。ただの娘とは思えない」
「ごらんなさいませ。いまだ角も生えておりませんし、甲羅もありませんよ」
「素性が言えぬなら目的でも言え」
「言ったらあなた、びっくりなさるでしょうよ。天下をのぞむ大伴の黒主とはわたしのこと」
 冗談ばかり並べるお力に、朝之助は興味をひかれます。
「朝夕をウソの中で送るにしても、少しは真実もあるはず。夫はあったのか? それとも親のせいでこのような境遇なのか?」
 親身になって聞いてきます。朝之助の言葉に、さすがにお力は悲しくなってしまいました。
「わたしだって人間でございますから、少しは心がしみることもありますよ。親は早くに亡くなって、いまは自分一人だけの身の上。娼館つとめの者を女房に持とうと言ってくださる者も無いでもないけれど、いまだ夫を持ちません。下品に育ったわたしですから、このようなことをして終わるのでしょうよ」
 投げ出したようなお力言葉に、朝之助はあだっぽい魅力を感じると同時に心ひかれます。
「なにも下品に育ったからといって夫が持てぬことはあるまい。おまえは美人じゃないか。一足飛びに玉の輿に乗れそうなものだ。それとも奥さま扱いされるのがイヤで、伝法肌の三尺帯が気に入っているのかな」

 三尺帯というのは長さが三尺の柔らかい木綿の帯のことです。(そのままですね♪)身体のしめつけが少なく、庶民の浴衣に用いられます。
 また、伝法で勇み足なことを「三尺帯」と言うことがあるとか。

 朝之助のなぐさめをお力は笑い飛ばそうとします。
「どうでしょうかね。そのところが落ちでございましょ」
「いやいや、おまえに相手がないわけがあるまい。いつか面白いことがあるだろうに」
「ずいぶん詮索なさいますこと。なじみ客なんかザラ、手紙なんか反古。約束なんかこっちで破るより、先方さまが根性なしだからダメになることばかり。相手はいくらもいるけれど、一生を頼む人が無いというわけでござんす」
 寄る辺ない風情になった自分を叱りつけるように、お力は陽気になります。
「わたしは沈んだことが大きらい。騒いで騒いで騒ぎ抜きましょう」
 そして手を打って厚化粧をしたお高を座敷に呼びます。すると朝之助はしつこく
「お力が好いている男は何という名だ?」
 今度はお高から、お力の情夫について聞き出そうとするのです。

 結城朝之助はお力の「菊の井」に週に二、三度通うようになります。
 朋輩の女たちはやっかみながらも二人の親密さをからかい、
「お力ちゃん、お楽しみだね。男ぶりはよし気前はよし。いまに結城さんは出世なさってあんたを奥さまにしてくれるだろう。いまのうちに足を出したり、湯呑でお酒をあおるのはやめた方がいいよ」
「力ちゃんに結城さんというなじみが出来たと源七さんが知ったら、気ちがいになるかもしれないね」
 などと言います。お力はお力で、
「そっちこそ、もう少しお行儀よくしてお給仕に出られるように心がけておくれ」
「ずばずばと憎まれ口をたたくこと! 結城さんが来たら、あたしらの手に乗らぬヤンチャ者のお力ちゃんを叱ってくださいと言いつけてあげる!」
 そういう朋輩の言葉があったのか、結城朝之助はお力にまじめな調子で厳命します。
「お力、お酒はひかえなさい」
 しかしお力は悪びれません。
「わたしが商売していられるのはお酒の力だとお思いになりません? 酒気が離れたら座敷はお寺のようになってしまいますよ」
「なるほど」
 うなずくと、朝之助は二度とお力にその小言を蒸し返しませんでした。

「まあウソでも作り事にしろ、こういう身の不幸だとか、たいていの女は言うものだ。しかも、わたしとお前は一度や二度会うのではなし」
 お力の気鬱な様子に朝之介が心配します。
「どうしたのだ、頭痛か、血の道か? 持病があるのなら聞きたい」
「いいえいいえ、お聞きになってもつまらぬことでござんす」
 最初は取り合わないお力でしたが、口がほぐれて打ち明けます。
「結城さん、あなたに隠したとて仕方がないから申しますが、町内に羽振りのいい布団屋を営んでいた源七という人がおりました。久しくなじみでございましたよ。今は見る影もなく、貧乏して八百屋の裏に小さな家に住まっております。女房も子もあり、わたしのような女に入れ込む歳ではなかったけれど、座敷に来るのをそのまま帰すわけにもいかず、色々と面倒なことがありました」
 三味線の撥を置いて立つと、きざはしへ出ます。
 雲がない月夜の下では駒下駄の音が響いていて、二階からお力が指さす路地を朝之介も見おろします。
「あの水菓子屋(果物店)で桃を買っている四つばかりの子がいるでしょう。あの子が源七さんの子ですよ。あんな小さな子でもわたしが憎いと思うらしく、わたしのことを鬼だとののしりします。まあ、そんな悪者なのでございますけどね」
 ホッと吐息をついてお力は空を見上げるのでした。

 ここで場面が変わります。
 その源七と女房のお初が貧しい生活をしていることが描写されます。
 割り棟長屋の突き当りにあるごみ溜めわきに九尺二間の朽ちた上がり框がある一画。そこが源七の家です。
 そして草ぼうぼうの空き地のすみっこに青じそやエゾ菊、インゲン豆を栽培しています。
 お初は二十八か九の年齢ですが、貧しくやつれた様子で七つも年上のように老け込んでいるわけです。
 そのうえ、おはぐろもまばらになっていて、前後を切り替えて膝につぎ当てがある浴衣を身に着けています。細い帯を締めて「蝉表」の内職をしているという境遇です。

 ここで蝉表というのは草履の足の裏を置く部分を作る作業のことです。
 植物の「藤のつる」を細くして、細かく編んだものを草履の足裏がおさまる部分に張り付けるわけです。そのため別名「藤表」とも言われるようです。ちなみに作者の樋口一葉も「蝉表」の内職をしていました。
 そのために藤つるをそろえて天井からつりさげ、せっせと編んでいる様子がリアルです。
 そういう蝉表を貼った草履は夏のシーズンによく売れるので、夏が本格的になる前にたくさん仕上げようと、お初は意気込んでいるわけです。
 その一方で、
「もう日が暮れたのに太吉がなぜ帰ってこないのかしら。源さんもどこを歩いているのか」
 と亭主と子ども(太吉)のことを案じています。
 そこへ源七と太吉が帰ってきます。
 源七と太吉に行水を使わせながら、お初はご飯の用意にとりかかります。
「むかしの生活を思い出せば、九尺二間の長屋で行水を使うとは思ってもみなかった」
 しみじみと源七は思います。
 冷ややっこに青じそをのせたおかずとご飯を見ても、源七は食欲がわきません。お初は亭主を心配し、しきりにご飯をすすめます。
「土木工事の手伝いをして、大八車を押すような力仕事をするのですから、三膳のご飯が食べられぬということはないでしょう」
 冷ややっこに三膳のご飯。これが明治時代のふつうの食卓とは思えませんが、源七の境遇では仕方のないことなのでしょう。
 源七の陰気な様子にお初は皮肉と小言を言います。
「菊の井の料理はうまかったでしょうけど、今の身の上で思い出してもしょうがないでしょう。おしろいつけていい着物を着て、迷って来る人を誰かれナシに丸め込むのがあの女たちの商売。ああ、貧乏になったから構ってはくれないな、と悟ってしまえばすむことを、お力を恨んでいるのはお前さんの未練でございますよ」
「そんなことは分かっている。以前の自分を思い出すと顔も上げられん。飯が食えぬのは身体の具合が悪いんだ。案じるにはおよばない」
 と言ってごろりと横になってしまいました。

 一方で、お力が客たちを相手しています。
 一階の下座敷で三味線を弾き、五、六人の客たちがどどいつや端唄を歌って酔っぱらっています。
『わが恋は 細谷川の丸木橋 わたるにゃこわし 渡らねば……』
 などと唄いかけられて、お力は
「ちょっと失礼します」
 三味線を置いて立ってしまいます。
「どこへゆく、どこへゆく、逃げてはならんよ」
 座敷客が騒ぐのを
「照ちゃん、高さん、少したのむよ。じき帰るから」
 と朋輩に言い残すと、店の玄関で下駄を履いてお力は横町の闇へ隠れてしまいます。

(ああ、いやだいやだ。どうしたら人の声も聞こえない、物の音もしない、静かな静かな、自分の心もなにも、物思いのないところへいかれるだろう。つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情けない悲しい、心細い中に、いつまでわたしは閉じこめられているのかしら。これが一生か、これが一生か、ああイヤだ)

 お力のこの懊悩は、おそらくは一葉本人の肉声ではないか、と考えています。
 思うようにならない人生。母親と妹を養いつつ、内職仕事の合間に小説を書いていた一葉。才がはじけていても、世間では受け入れられないという鬱屈した思い。才能を認められ、和歌の先生のもとで師範として採用されたはずなのに、下女のような仕事までさせられる。そういう一葉だからこそ、伝法なお力の徒労感によりそった心理描写ができるのでしょう。

 お力は自分なりに「菊の井のお力を通して生きよう」と戻ろうとします。
 けれども町の灯りや人ごみの声は、井戸の底から響くようにうつろでした。お力は冬枯れの荒野をさまよっているような気分を味わいます。そのとき、
「お力、どこへ行く」
 と肩をたたく者がいました。
 結城朝之助です。お力の驚いた様子に朝之介は屈託なく笑います。
 朝之介は「菊の井」に来たのですが、お力がいなかったので探しにきたというわけです。そして二人は店にもどります。
 座敷では酔っ払いの客たちが不機嫌になって騒いでいます。
「客を置き去りにして中座するというのはどういうことだ」
「お力がもどったらここへ来させろ。顔を見せねば承知せんぞ」
 そういう威張った声を聞き流し、お力は二階の座敷に朝之介を通します。
 二階座敷にお酒が来るのを待ちかねて、お力は言います。
「結城さん、今夜は少し面白くないことがあって、気が変になっていますからそのつもりでお付き合いください。お酒を思い切りのみますから止めてくださいますな」
「きみが酔ったのを見たことがない。気が晴れるほど飲むのはいいが、何がそんなに不愉快なのだ。ぼくに打ち明けて悪いことはあるまい」
「いえ、あなたには聞いていただきたいのでございます。酔うと申しますから驚いてはいけません」
 と、にっこりほほ笑んでから、大湯呑でお酒を二、三杯立て続けにのどに流しこみます。
 それから結城朝之助の容姿をうっとりとながめたりします。
「今夜はただ事ではないな。何か事件でもあったのか?」
「あなたは立派なお方。わたしはこのようないやしい身の上。お聞きになっても汲んでくださるかどうか、わかりません。笑い者になっても、わたしはあなたに笑っていただきたく、今夜は残らず打ち明けます」

「いっそ九尺二間の長屋住まいでも、決まった男と夫婦になってみようという気になることもあるのですが、わたしにはそれができません」
 とお力は言う。
「娼婦であれば、いとしいの、見初めましたのとでたらめも言わねばならず、なじみの男の中には真に受けて、お力を女房にと言ってくださる方もあります。けれども、夫婦になったら嬉しいか? 本望なのか? それがわたしにはわかりません。……最初からわたしはあなたが好きで好きで、一日お目にかからねば恋しいほどですけれど、わたしを奥さまにする、と言ってくださったら、どうでございましょうか? 所有されるのがイヤなのです。よそではお慕いしております。……ああ、こんな浮気者に誰がしたと思います。わたしは出来損ないです」

 この時代の女流作家で、ヒロインにはっきりと
「持たれるは嫌なり」
 と言わせたことは衝撃的です。

 お力が独白するのは、父や祖父もまた「一生が悲しいこと」だったという内容です。
 お力の父と祖父の時代はまだ徳川政権(江戸幕府)です。
 祖父は武士階級ではなかったものの、漢学の知識があり、父親もまた一介の職人でありながら公儀(幕府)の政治を批判する文書を出版して罰せられたことを物語ります。
 気位高く、不遇だった家族が裕福であるはずはなく、お力は貧しい中で世の中と折り合えない自分の反骨を育ててきたというわけです。

「わたしはそのころから気が狂ったのでござんす。わたしは貧乏人の娘、気ちがいは親譲り」
 お力の父であった職人の細工物は名人級の作品だったにもかかわらず、それはまったく世の中に評価されずに終わりました。そういう経緯に触れて、お力は自嘲します。
「このように生まれついたからには、どうなるものでもありません。わたしの身の上も将来は知れたこと……」
「お前は出世を望むな!」
 唐突に朝之介が言い放ちます。

 出世というのはこの場合、玉の輿や幸せな結婚を意味しています。

 結婚による女の幸せが当たり前だという世間からすれば、
「自分を所有されたくない」
 というお力のやりせないほどの反骨精神は本人が言うように「気ちがい沙汰」というわけです。だからこそ、結婚による幸せは望めません。
 
 ところで、一葉は結城朝之介という男をどこか「虚無的」に描いています。
 男性の内面が描かれないため、読者は彼の行動や言葉だけを追うしかありません。
 結城朝之助は「高等遊民」という、他人から見ればうらやましい立場です。それなのに、あるいはそれだからこそ、世の中を冷めた目で見ていて、そんな冷めている自分に自己嫌悪をかかえているような人物という印象を受けます。
 そういう冷めた目に、お力はどう映るでしょうか?
 自分の身体を売って生計を立てているお力。
 気に入らぬ客には酌もしないと宣言し、湯呑でお酒を浴びるように飲むお力。
 冗談ばかり言って笑って、それでいて朝之介が帰り際に「ウソかまことか、九十九夜のしんぼうをなさいませ、お力は鋳型に入った女じゃございません」などと言う。
 同情されるのを嫌い、自分の素性も明かさなかったお力。
 お力にそそぐ朝之介の視線には一片のさげすみはありません。
 むしろ自分の内部に巣食う「虚無」をお力を理解し受け止めようとすることで、満たそう、癒そうとしているかのような印象を受けます。

 そして「出世を望むな」の一言は朝之介がお力を理解し、受け入れた瞬間の言葉なのです。
 同時にそれは作者である樋口一葉自身の
「わたしは出世(結婚)など望まない!」
 という宣言のように反響します。
 お力と朝之介はどちらも樋口一葉の分身なのです。

 結城朝之助という理解者を得たお力は、その幸せをおすそ分けするかのように源七の息子・太吉にお菓子を買い与えます。
 しかし、太吉に親切にしたことが母親のお初を怒り狂わせます。
「図太いヤツめ。これほどの苦境にあたしたち家族を追いやって、まだイジメ足りないのか! 子どもに菓子をやって、その父親の心を動かそうとしているんだ。太吉、父さんを怠け者にした鬼から、おまえはお菓子なんかをもらって恥ずかしくないのかいッ」
 お初は源七の前でお力を口ぎたなく罵り、ついに源七はお初と離縁します。
 そしてお盆の季節。
 菊の井から棺桶が二つ運び出されます。人々はそれをながめて手を合わせ、
「あの子も運が悪い。つまらぬヤツに見込まれてかわいそうなことだ」
「いや、あれは得心ずくだ。あの日の夕方、二人は立ち話をしていたというぞ。女は逆上している男に、義理があったのだろう」
「なんの、あのアマが義理なんぞ知るものか。逃げるところをやられたにちがいない。男の方は見事に切腹して果てたと。布団屋のころからそれほどの男だとは思わなかったが」
「菊の井は大損さ。あの子にはいい旦那がついていたはず。残念だろうな」
 一葉はそのシーンをとりとめない会話で書き連ねます。
 無理心中で命を断たれたお力の心情に踏みこんだり、感情移入したりはせず、あえて突き放した描写に徹しています。こういうところハードボイルド的ですね。
 そして最後に
 ……人魂か何か、筋を引く光り物がお寺の山から飛ぶのを見たという者がいた、と伝えられている……
 お力の声なき「無念」を表して結びます。

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