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大つごもり 樋口一葉

 主人公はお峰。
 町内一の金持ちだという「山村家」に下女として奉公に出ています。
 その奉公先を世話した老婆は
「お子さまたちは男女六人、でも屋敷内に住まうのは惣領息子(石之助)と末の娘さんのお二人だけ。ご新造(女主人)は気難しく気分屋だけれど、結局はおだてに乗りやすいところがあるから大したことはない。身代(財産)は持っているけれどケチなところがあるが、旦那さまは甘い性格だから何かのおりには少しはおこづかいをくれるかもね。イヤなことがあったら便りをよこしなさい。別の就職先を世話してほしいというのならそうしてあげるから」
 あまりよく言いません。しかしお峰は
(お仕事だもの。自分の気持ち一つのことだから、がんばらなければ)
 健気に決意します。

 大つごもり、というのは「おおみそか」のことです。

 おおみそかの朝から描写が始まります。
 寒い風が吹きすさぶ中、お峰は井戸から水を汲み、主人家族が入るための朝風呂の湯を用意します。
 主人夫婦、ことにご新造(おかみさん)は温かい寝床の中でキセルを使い、灰吹きをたたいでお峰に指図するのです。
 井戸端ではまだ覚めやらぬ空に月がかかっていて、水を満たした手桶を一度に二つ浴室に運びます。それを十三回は繰り返し、やっと浴槽に水が満たされるわけです。
 もともと水でふやけていた下駄の鼻緒がゆるゆるになって、重い水を運ぶうちにお峰は氷に滑って派手に転んでしまいます。
 手桶を落とした拍子に底が抜け、せっかく汲んだ水はぶちまけられるし、なによりお峰はむこうずねに紫色のアザをつくってしまいます。
 それを知ったご新造は
「手桶の値段は知らないけどね、おまえの失敗のために身代がなくなるよ!」
 額に青筋をたてて、朝ごはんのときもお峰をにらみつけます。
「この家の品はただじゃないんですよ。主人の持ち物だと思って粗末にあつかったら罰が当たるぞえ」
 と小言を言い、客が来ればお峰の失敗をいまいましげに打ち明けるのです。

 ごしんぞぉぉぉ! お峰はケガしているんだぞぉぉ、いたわりの言葉一つ言えないのかぁぁぁッ!

 そうなんです。ご新造はそういう人なんです。
「世間に下女を雇う人は多いけど、山村家ほど下女が辞めていく家はない。月に二人はいつも辞めていくし、一夜いて逃げ出した下女もいる。そう思えばお峰は辛抱しているじゃないか。お峰にひどく当たると天罰が下るよ」
 などと周りの者たちはウワサします。

 もっとも、お峰には山村家での奉公を辞められない理由があります。
 七歳のとき、大工だった父親が普請場の事故で死に、母親もその二年後に病死しました。
 お峰の母親の兄・安兵衛が彼女を引き取ったというわけです。
「正直安兵衛」
 とあだ名される人のいい八百屋で、女房との間には三之助という少年がいます。いとこの三之助はお峰を
「姉さん姉さん」
 と慕っているわけです。
 しかし、その安兵衛は無理がたたって病気をし、店をたたんで月五十銭の裏長屋で床についているわけでした。
 育ててもらった恩人の安兵衛と彼の女房を養い、そして弟のようにかわいがっている三之助(八歳)を学校にいかせるため、お峰は勤めに出たという背景があります。

 そんな伯父を見舞おうにも、山村の家は厳しくてお峰を仕事から解放しません。
 使いに出されたとき、時間を気にしつつお峰は伯父の裏長屋に向かいます。
 師走の暮れですから、お峰の周囲では着飾って芝居見物やショッピングを楽しむ人々であふれています。そんな人ごみの中、風船や凧を軒につるした駄菓子屋で三之助を見つけます。
「父さん、母さん、姉さんを連れて帰ったよ」
 三之助が溝板をがたつかせて駆けて入った長屋では、安兵衛が横になっています。
 そこは六畳一間に戸棚が一つ。長火鉢すらありません。米櫃すらないのです。
 それでも安兵衛の女房は内職の仕立物をしている手を休めて、お峰の訪問を喜びます。
「ごちそうはないけれど、好物の今川焼と里芋の煮っ転がしがありますよ。たくさんお食べ」
 下女奉公はつらくはない、安心してください、とお峰は言います。
「伯父さん、一日も早くよくなってください。このお金は少しですが、わたしの小遣いの残りです。山村家のご親戚がお客さまとしていらしたとき、そのご隠居さまがくださったのです。三之助、お父さんが病気でおまえもつらいだろうが、お正月にはわたしが何か買ってあげるから、お母さんに無理を言って困らせてはいけませんよ」
「困らせるものか。三之助は八つでも身体が大きいし力もある。しじみを売り歩く仕事をして、生活を助けているんだよ。孝行者だ。お峰、三之助をほめてやってくれ」
 安兵衛は泣きながら布団をかぶります。
「学校が大好きで先生にもほめられる子だよ。この寒空の中、貧しいためにしじみを売り歩かせる親の心を察しておくれ」
 と伯母も涙をぬぐいます。
 お峰は下女として奉公している自分がもどかしく、
「この家にもどってわたしも伯母さんの仕事を手伝います。そして伯父さんの看病をします。そうすれば三之助だってしじみ売りをしなくてすむ。わたしが破れた着物だってつくろってあげられる!」
 取り乱してそう言うお峰に、伯父と伯母は首を横に振ります。
「気持ちはうれしいけれど、お峰には山村家のご主人から給金の前借もあるだろう。最初の奉公が大切だよ。辛抱できずに戻ったなどと陰口をたたかれたら、おまえだって肩身が狭い。わしの身体さえよくなれば、商いにも出られる。新年にはきっといいことがあるはずだから。なにごとも辛抱、辛抱。お峰も三之助も辛抱してくれ」
 安兵衛の言葉に、お峰は気がかりなことを口にします。
「伯父さんが床についたとき、田町の高利貸しから十円借りていますよね。もうすぐ返済期限なのに、どうするんです」
 安兵衛の女房の内職仕事は一日に十銭の稼ぎにもならず、三之助がしじみを売るとしても、そんな稼ぎがあるはずもありません。
 そのとき安兵衛もお峰も、ふと、山村家の主人が白金の台町に「貸長屋を百軒持っている」ことを思い出します。

 ここで「貸し長屋」というのは現代でいうところの「賃貸マンション」みたいなものでしょう。
 おしゃれな「貸し長屋」で「常綺羅美々しく……」と描写せれています。その貸し長屋の敷地には土蔵もあったようです。

「ああいう貸し長屋を持つ人が、奉公人が借金を申し込んで聞き入れないはずがない。今月末に一円二分を高利貸しに払えば、また三月返済期限をのばすことができる。……もし二円借りられれば、一円二分を高利貸しに支払い、残りのお金で正月らしい正月を祝えるのだが」
 お峰はそれを聞き、少し考えてから
「わかりました。主人にお願いしてみます。理由を話せばダメとはおっしゃらないでしょう」
 と答えて山村家へもどります。

 ここから場面が変わって、山村家の惣領息子が登場します。
「石之助」
 というのが名前です。
 下女たちをこき使って追い出す「ご新造」とは血がつながっていない青年です。
 ご新造が後妻なのか、それとも石之助の母親が妾なのかは書かれていませんが、とにかくご新造(継母)には嫌われ、実父からも疎まれている放蕩者です。
「石之助はどこかへ養子にだして、妹娘に婿をとって家督をつがせましょう」
 と、ご新造が父親に言っているのを聞いたのが十五歳のとき。それから十年間、世を拗ねた生活をしています。
 不良な生活をしているわりにルックスがよく、近所の女の子たちが騒ぐものの、石之助本人は乱暴ばかり働いている……というわけです。
 ごろつきたちを叩き起こし、大酒を飲んではどんちゃん騒ぎをする石之助のことを
「こんな放蕩者ではどこも養子に取るわけがない」
 と持て余しているわけです。
「石之助が町の不良どもにおごるせいで、ウチの身代は無くなりますよ! こんな異母兄がいると、わたしが産んだ娘たちが不憫。いくらかお金を渡して、石之助の戸籍を山村家からはずしてくださいな!」
 ご新造は夫に讒言ばかりするわけです。石之助はふてぶてしく、
「家督相続からはずし、おれを若隠居にするなら分配金は一万。隠居扶持として月々お金をもらいましょうか。なるほど、戸籍を抜いて別の家の主人に成るのなら、おれがこの家のために働かぬのも勝手でしょう。それでよろしいなら、仰せの通りにしますよ。去年より山村家は所得が倍に増えたと世間でウワサになって、我が家の様子を知ったのですが、ああ、おかしい。ああ、おかしい。……火事は燈明の皿より出ることもあるが、おれのように惣領(跡取り)と名乗る火の玉が転がり出ることもあるんだぜ?」
 ごろつきの貧乏人たちに取り巻かれ、石之助は
「山村家から巻き上げて、貴様たちに好き勝手な正月をさせるぞ!」
 などと宣言する始末です。
 そんな乱暴な兄を妹たちは恐れるし、ご新造(継母)は憎んでいるものの、はれものにさわるようにしてあつかっています。

 お峰は伯父・安兵衛との約束のことで心ここにあらず、です。
「年が明かるまでに、高利貸しにお金を支払わなければならない。二円の借金を申し込んだけれど、ご新造さまは何もおっしゃってくれない」
 この「大つごもり」の一日中には田町の高利貸しに一円二分を支払い、残金で伯父の一家はお正月を無事に迎えたい、というわけです。
 ご新造の機嫌を見計らおうとお峰は必死です。
「伯父さんがお金のことで助かれば、それはわたしの喜び。いつまでもいつまでも御恩に着ます。二円をお借りできるのでしょうか?」
 しかしご新造は冷酷にとぼけます。
「それはまあ、なんのことやら」
 新調した晴れ着で着飾った自分の娘たちをながめながら、ご新造はたばこの煙を輪にして吹き吹き、澄ましたもの。
「おまえの伯父の病気、続いて借金の話を聞きましたが、受け合うつもりはありませんよ」
 愕然としたお峰は胸の内で叫びます。
「ご承知してくださって十日もたたぬのに、お忘れになったのですか。あの硯の引き出しにも、手付かずのお金が一束といわず、十も二十もおさまっているではありませんか。あの中からただ二枚、お金をお貸しくださいッ!」
 これはカギカッコで記しましたが、実際にはお峰はあまりの口惜しさに言葉がでないのです。

 それから引き出しに収まったお金の「一束」というのはおそらく、中央に穴が開いた銅銭のことだろうと思います。
 江戸時代から穴が開いた銅銭はその穴に紐を通して一定の重量や枚数にして「一束」「二束」とまとめていたんですね。
 明治のころも銅銭は束にしてまとめていたというわけです。

 結局、お峰はすごすごとその場を去ります。
 正午のドンの音がしたとき、山村家に使いの者がやってきます。
「お母さまにすぐおいでくださいますよう! 今朝よりお苦しみです。午後には初産でございます」
 実は山村家のご新造の娘が他家に嫁入っていて、そのお産があるというわけです。
 娘が出産する!
 迎えの人力車に乗り、ご新造と旦那、主な使用人たちはあわてて家を出ます。
 山村家に残ったのはほんの数人です。
 放蕩者の石之助が寝ていて、そしてお金のことで心がうつろになったお峰です。
 あわただしく人力車が過ぎた入れ違いに、三之助がやってきました。
「姉さん。約束の二円のお金を受け取って、旦那さまやご新造さまによくお礼を申して来いと父さんが言いました」
 お峰はそれを聞き、決意します。
(わたしは悪人になります。神さま仏さま、罰をお当てになるのなら、どうかわたし一人に。伯父や伯母は知らぬことなので、どうかお許しください。このお金、盗ましてくださいませ)
 硯の引出しをあけると、束の中から二枚の銅貨をつかみ出しました。
 そのときの一葉の描写は
 ……三之助に渡して帰したる始終を、見し人なしと思へるは愚かや……
 見た人はいなかった。そう思ったのは愚かだった……とあるのです。

 大つごもり(大晦日)が暮れる時刻、旦那もご新造も娘の安産に喜んで帰ってきます。その喜びをおすそ分けするつもりか、車夫に愛想よく「ご祝儀」すら渡すのです。(だったらお峰に気持ちよくお金を渡してやれよ! そう思うのはわたしだけでしょうか?)

「ああ忙しい。お峰、小松菜はゆでたか? 数の子は洗ったのか?」
 と騒がしくなったころ、石之助が起きてきてぬけぬけと言います。
「新年は我が家にて祝うべきだが、堅苦しいあいさつは面倒。意見も小言も聞き飽きた。親戚の顔など見たくもない。今宵は悪友との約束があるもので、ひとまずおいとましますよ。おめでたい矢先なので、お歳暮としていかほどくださいますか?」
「放蕩者の子を持つ親は不幸なものだ。切られぬ縁は血筋というもの。おまえのことなど知らぬと言っても世間はゆるさないだろう」
 父親の嘆きにつけこんで、石之助は
「実は今宵を期限に借金がござる」
 と、たたみこみます。
「人の保証人となって判を押したもので、不良仲間にやるものをやらねば、おさまりがつかないのですよ。おれはどうでもいいが、山村の家名に申しわけがつきませんな」
 どこまでもふてぶてしい石之助。父親は苦り切りながらも金庫の間へ入ると、五十円束を一つ持ってきます。
「これは貴様にやるわけではない。まだ結婚前の妹が不憫で、娘たちの嫁ぎ先にもかかわる問題だからだ。この山村家は代々堅気で正直律儀。悪い風聞を流されては困るのだ。貴様というワルが生まれてきて、無分別に他人の懐でものぞくようなことになったら恥だ。六十近い親に泣きを見させるのは罰当たりではないか! 子どものころには学問をしたはずが、なぜこれが分からぬ。さあ行け! どこへでも行ってしまえ! この家に恥をかかすな」
 石之助は金を懐におさめると、ご新造(継母)に顔を向けます。
「お母上、ごきげんよう良い新年をお迎えなされ。さようなら」
 わざとらしいほどうやうやしく言って、お峰に下駄を出させて玄関から出ていきます。
 ご新造もご新造で、
「若旦那(石之助)の退散を喜びましょう。金は惜しいけど、見るだけで憎らしいあの子が家にいなくなれば上々ですよ。どうすればあんな風に図太くなれるのかしら。あの子を生んだ母親の顔が見たい」
 などと毒舌を吐きます。(;^_^A
 そんなときでもお峰は、自分が犯したドロボウのことが気になって仕方がありません。

 大つごもり(大晦日)の夜は手もとのお金を「大勘定」として集計して金庫に封印するならわしのようです。いわゆる決算ですね。
 山村家では貸付のお金をすべて回収し、記帳する作業が始まります。
 一年間の掛け売りは大晦日にまとめて回収し、支払いがあれば支払いをすます、というう江戸時代からの商売のしきたりが、まだ生きている時代なんですね。

「お峰、お峰、硯の引出しをここへ」
 と奥の間に呼ばれます。
(このままですむはずがない。万あるお金の中でたった一枚なくてもお気づきになるだろう。正直だけがわたしのお守り。欲のために盗みましたと罪を白状してしまおう。そうして、伯父さんにキズがつかないよう、自殺してしまおう)
 と思い詰めます。
 しかし……。
 お峰がとった銅貨は二枚だけ。残りの十八枚があるはずが、束のまま無くなっています。
 そのかわりに、受け取りの手紙が一通。

『引出しの分も拝借いたしました  石之助』

 またあの放蕩息子の仕業か!
 旦那もご新造も顔を見合わせて、お峰の犯罪はだれも詮索しなかったのです。(笑)
 ラストの一文がクールです。

 ……さらば石之助はお峰が守り本尊なるべし、後のこと知りたや。

 お峰が盗みをしたのを見て、石之助は自分の罪になるよう仕向けるためにお金を一束丸ごと「拝借」したのでしょう。
 お峰が盗みをしたシーンでの
 ……三之助に渡して帰したる始終を、見し人なしと思へるは愚かや……
 という伏線が利いています♪

 ここで個人的に思い浮かべたのは、志賀直哉の「小僧の神さま」です。
 ん? 突然、なんで?
 と、お思いになる方もいるでしょうね。

 小僧の神さまは丁稚として働く少年に、心行くまで「おすし」をごちそうする男の物語です。(でしたよね?)
 志賀直哉らしくほっこりさせる物語ですが、主人公の男は少年におすしをすすめる「善人面」した自分自身を恥じ入り、そっとすし屋を離れます。
 少年はその後も丁稚奉公で苦労しますが、つらいときには必ず男に親切にされた記憶になぐさめられ励まされる……。つまり少年の心の中では男は「神さま」であるわけです。

 つらく悲しい境遇にある人が、力がある者に手を差し伸べられる……という骨組みは「小僧の神さま」も「大つごもり」も同じだな、と感じたわけです。

 でも「小僧……」では「神さま」である男に二面性はありません。
 自分のやっている「弱者に対する施し」が偽善的に感じていたたまれなくなり席を外す。また、その行動によって、男の本性が真実に「善良」だと強調されるわけです。キャラクターにどんでん返しはありません。
 一方の「大つごもり」では石之助は「放蕩者」で「ワル」です。
 継母との確執や冷淡な父親、家名大事として息子を疎外する山村家。
 石之助がワルなのは「孤独」のためだろうと読者は読み解いてゆきます。そして最後の最後で、お峰だけが理解します。
 石之助はただの乱暴な放蕩者ではないと。

 健気で誠実なお峰とふてぶてしくて弁の立つ石之助。
 キャラクターの対比もメリハリがあって見事です。
 ……後のこと、知りたや。
 一葉はこの結びの一文に、二人の行く末を読者に暗示しているような気がします。

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