見出し画像

ニワトリが先か 卵が先かみたいな話。

コレも二極化してるなと感じる物事。

人間が先か テクノロジーが先か

コレは人それぞれの価値観でもあるのだけど
AI技術の発展により 人間が創りだした世界なのに いつのまにか 人間を超えているという視点に切り替わっているような

人間の設計図に伴って 模写されてきたという話を聞いたことがある。
この時には まだ 人間の隠された能力は偉大なのだと話されていた。
それが ここ最近 人間の方が劣っているような認識に変わってきているのか 
とても微妙なことなのだけど この少しのズレにとてつもない違和感を感じることがある。

『物質文明、資本主義の限界』という話を聞くようになってきた。
それが いわゆる一時よく聞くようになった
『風の時代』への切り替えという話。

そもそもの人間の持つ能力に目覚める時
というような話だったとおもうのだけど
現実社会の グレートリセット⁉️ですか❓の流れを見ていくと 人間の持つ能力というより AIを駆使した世界。

同じ事を言っているようで ココで私たちがどちらをイメージするかなのだろうか。

物質文明の限界はなぜ起きたのか
今の人間の次元では 創造の限界ということなのではと思う。 
だから 潜在能力を発動させるために次元上昇しよう。 という話なのだと思っていた。

しかし その分野はAIに任せて 
人間は今を心地よく生きよう‼️  みたいな方向性に動かしているように見える時もある。

どちらをイメージするかで この先が分かれる。

今 多様性という言葉とともに動き始めている動きにも 同じことを思う。
海外では 『性別は自分で決めて良い』という教育がされていて 性転換手術をしてしまう若者が増え 社会問題として警鐘を鳴らしている。
そもそも 手術してしまったら 元には戻せない。

BLACK OUT キャンディスオーウェンズ著 我那覇真子訳

なぜ こんな事が起きているのか……
『多様性』という言葉の暴走なのではないか。

冷静に考えると 男性であれ女性であれ 
自分や他人を そのままを受け入れる
形ではなく ありのままを受け入れる。
わかっていたはずなのに 

みんな同じでないといけない。

いつの間にか 『形が大切‼️』という風潮に切り替わっているように思う。

例えば アメリカでは 
『メリークリスマス🎄』とは言ってはいけない事になり
『ハッピーホリデー』に変わったらしい。

コレはキリスト教以外への配慮なのだとか……

多様性を大切にしたいなら 
本当はお互いの宗教観を認める事
なんじゃないだろうか?

この辺りの なんかかけ間違いなのか 
シンプルな話を複雑にする事で 
混乱させられてるような そんな感覚になる。

サヌキとアワ

日本人はもともと理解していた。
サヌキは男性性 アワは女性性
しかし サヌキ(男性性)よりのアワ(女性)もいれば  
アワ(女性性)よりのサヌキ(男性)もいた

サヌキとアワ という対極な関係の間を
調整する存在
そして それがちゃんと機能していた。

陰謀論 都市伝説と言われてきた話が
いよいよ現実化されそうになっている。
チップを埋め込み なんていう話も 世界のことを話し合う人たちが表で堂々と言い始めたとか。

人間の脳のデータをクラウドに上げて…
などと聞くと もう混乱しますが
要するに アカシックレコードのような 
人間のDNA情報のようなものを 模写したいという話なのですよね。

コレは本当に必要なのですかね?
だって もう既に持っているのですよ。
私たちの中に。
そこへアクセスすれば良い。 
それが潜在意識との関係性なのですよね。
瞑想や禅の思想 ヨガなどの広がりも
本来ある可能性を引き出す教えなのですよね。

本来の能力に生きるのか
似たものをつくりコンピュータが作った世界を生きるのか。
その分かれ道に立っているように思います。

もともと持っているなら目覚めましょう。

その設計図が 日本人に託された言霊学なのかなと思うのです。

そんな風に見ると 古いものが 古びて見えてたものが 一氣に最先端に見えてしまう。

こんな事を思うから
感じる もともと持つ能力にアクセスしたい。
身近なことから
それが 衣食住であり 個々が持つ美学の追究なのかなと。

YUKIKO

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?