見出し画像

親と子 人たらしめるもの

応募したコンテスト?について

知人から

「Merryって名前で出してるでしょ?あなたが描いたって一目でわかったよ。すごく素敵な作品だった」

と、たまたま偶然会った時に言われて
とても嬉しいやら恥ずかしいやら
勢いで挑戦した甲斐があったな。
結果はまだです…


両親と会ったのだが 変わらずで何よりで
既に精一杯事実 行っていること について
怠っている 行っていない
と言われてぐったりきた。

怠っていないし行っているのに
そう言われると怠っているような気がして、焦燥に駆られてしまうのは何故か。


元夫と婚姻関係があった時もそうだけど
ものすごく今更だが、というか気づくのが遅かったが


親にしろ配偶者にしろ友達にしろ
結局、つまるところ

「(付き合いの長い)他人」であることに変わりはなくて。


その人が自分のことを言っている、判断している のは、その人がとらえた私であって

それは私の全てではないし
私たらしめるものの真実ではない

ということに気づいた。
真実だと思ってやまなくて、足りない至らないってずっと思ってた。


真実の自分なんて自分でもわからない。
他人が全てをはかることもきっとできない。
それが全てではない。


夜空の表現を模索している
写真も絵も真実では無い
ただ私から見えている月を
私が表現するとこうなるってだけ

世界の ものの見え方のひとつ

ばかみたいに当たり前のことかもしれないが
ようやく気づいて少し呪いが解けた気がする。


真実の私は何かな。
だいじにしながら探したいな…そのための今だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?