見出し画像

「同じミス」を繰り返す人は、「同じミス」だと思っていない

「具体的知識」と「抽象化能力」

私は、噛み合わない会話の原因の一つとして、人によって「具体」と「抽象」のレベルが大きく異なることがあると考えています。正確には「具体的知識」と「抽象化能力」の組み合わせのレベルの差によって、多くのコミュニケーション、人間関係の齟齬を説明できるというのが、私の仮説です。

抽象化能力に対して、具体化能力という表現になっていない理由は、具体化というと何かを具体的な形にすることと誤解されてしまう可能性があるからです。

「抽象化能力」とは

まず、抽象化能力について、簡単に説明したいと思います。

抽象化能力とは、具体的な事象や経験から共通点や本質的な特徴を見出し、より一般的な概念や原理として理解し、表現する能力です。この能力があると、個別の事例を超えて、より広い文脈で物事を捉え、応用することができるようになります。

また、少し広義に意味を捉え、抽象化能力の中に「目に見えない関係を理解する」というものも含めています。具体的知識は体験したこと、目に見えること、触ったものなどを理解した結果のものです。それに対して、個々の事象同士の関係性を理解する能力も抽象化能力の中に含めているのです。

親子の会話

親子の会話の中にも、抽象化能力のレベル差が起因する噛み合わなさが垣間見られます。

毎日のように寝坊し、お母さんに叱られる子供。

「あなたは何度言っても朝寝坊するわね。毎日同じ失敗ばっかりして恥ずかしくないの? いい加減にしなさい!」という具合です。

お母さんからすると、毎日繰り返される「寝坊」は全く同じ事象として捉えられます。

しかし、幼い子供にとっては昨日の朝寝坊と、今朝の朝寝坊は別の事象なのです。

「昨日の寝坊は夜、遅くまでテレビを見てしまったからだけど、今日の寝坊は夜遅くまでゲームをしていたせいで、同じ失敗ではないのに……」と思っています。

お母さんが言う「同じ失敗」にはピンときていないのです。

幼い子供は抽象化能力が未発達です。そもそも抽象化できるだけの具体的知識、つまり、経験や情報が集まっていないのだから、仕方ありません。様々な経験をした結果、具体的知識が集まり、何らかの共通項を見出し、それを軸にまとめていくというのが抽象化のプロセスです。

抽象化能力が未発達だと、先程の例でいう「同じ失敗」はピンと来ませんし、叱られた理由を考えるよりも、納得いっていないことが頭を支配してしまいます。

抽象化能力の高い人は、適切な軸で、適切な抽象度で、まとめることができます。

一方で、抽象化能力が未発達だと、そもそも複数の事象をまとめようとしなかったり、極端な軸や、極端な抽象度でまとめようとしたりしてしまいます。全てを善と悪に分類しようとしたり、極端に高い抽象度にしてしまったりするのです。

「同じような失敗」を繰り返す人

抽象化能力が未発達な大人でも同じようなことが起きていると考えられます。

何度言っても同じような失敗ばかりしている人、実は、同じ失敗と認識していない可能性があるのです。

私が仕事で関係していた人にもそういう人がいました。世間で言う超一流の大学を卒業しており、勉強は得意なようです。Cさんと呼ぶことにします。ところが、私にはCさんがすることはいつも雑に感じられました。そして、自分がやった作業の確認も不十分なことが多かったのです。私はCさんを指導する立場でもあったので、毎回、作業が雑なこと、作業の確認ができていない点を指摘していました。

ところがCさんの行動は全く改善されませんでした。

もう30年近く前の話ですが、いまだに鮮明に覚えている「事件」があります。

私はあるプロジェクトのプロジェクトマネージャーの立場でした。お客様の部長をはじめとする重要メンバーとの会議のため、Cさんに会議室の机の上に20ページの資料を印刷して置いておくように指示しました。会議室は馬蹄形の大きなテーブルがあり、そこに参加メンバー20名が隣り合わせに座っていきます。

準備ができたと知らされたので、私は自分の仕事の手を止め、会議室に確認に行きました。

Cさんの仕事ぶりには不安を感じていたので、毎回作業の確認をすることにしていたのです。

会議室に入った瞬間、強烈な違和感。

プロジェクトマネージャーとしての専門性によって感じたものではなく、おそらく、多くの人が気づけた違和感だと思います。

本来ならば印刷され、ホッチキスでとめられた資料が20名分、所定の場所に置かれているはずです。私の目には表紙が20人分、見えているはずです。

ところが、私の目に、異なる光景が飛び込んできたのです。

部長がいつも座っている席は予定通り、表紙が見えます。ところがその隣の席には1ページ目、さらにその隣には2ページ目と異なるページが見えたのです。

何が起こっていたのか?

一番端の部長の席には表紙ばかり20枚、隣には1ページ目ばかりが20枚、その隣には2ページ目ばかりが20枚、ホッチキスでとめられて置かれていたのです。たまたま、20名の参加者で20ページの資料だったために、うまい具合(?)に、過不足なく置かれていたようです。

私はすぐにCさんを呼び出し、「何かおかしいと思わないか?」と詰め寄りました。

が、Cさんは何が問題か気づけません。気づけていたらこの状態にはなっていないはずなのですが、当時の私には完全に理解不能で、怒りを通り越して、笑えてきました。

仕方なく、一番前の部長の席にある資料と隣の席の資料をCさんの目の前に置きました。さすがのCさんも状況を理解しました。しかし、Cさんの第一声に私はさらに驚くことになります。

「いつも使っているソーター付きのコピー機が故障したせいです! 自分が悪いわけではありません」

叱りつけたい気持ちを抑え、「会議開始までにちゃんと直さないといけないね」(実際はもっと激しい口調だったはず)と二人で作業し始め、何とか会議までには準備を終えることができました。

このケースは極端なものでしたが、Cさんの作業は、誤字脱字は日常茶飯事ですし、会議の日時を間違って伝えてしまったり、議事録の出席者や会議の日時を間違って記載していたり、伝えるべき人に漏れがあったり、表計算ソフトの式を間違った形で変更してしまったりと、雑な作業が多かった上に、自分がした作業の確認が不十分でした。

作業が雑な理由は、作業の目的を理解しないまま、指示された行動だけをする傾向があること。そして、自分の作業の確認で何をすべきかよくわかっていなかったため、本人としては確認をしたつもりでも、ミスを修正できないままでいたのかもしれません。

私としては、Cさんの雑さに起因する失敗が発生するたびに「同じミスばかりして、どういうつもりだ」と思っていました。

しかし、抽象化能力が未発達なCさんからすると、指示された作業は毎回異なり、ミスの種類も毎回異なるように感じていたので、「同じミス」とは思っていなかったのでしょう。

さらにCさんは生まれ持ったワールドクラスの鈍感力を有していたため、私が「言い過ぎたかな」と思ったような状況でも、ケロッとしています。結果、私の「何とか一人前になってもらいたい」という愛情も、「毎回、同じミスばっかりしてどういうつもりだ」という憤りも、ほとんど伝わっていなかったようです。お互いにとって残念な状態だったと思います。まさに抽象化能力の差が生み出した齟齬です。

私はCさんの抽象化能力に合わせた指導をすべきだったのだと思いますが、当時の私にはそこまで考えが及びませんでした。反省しきりです。

例えば、作業指示の際、その作業の目的をより明確に説明し、その作業において絶対に間違ってはいけないことは何か、絶対におさえておかないといけないポイントは何かをアドバイスするべきだったのかもしれません。表計算の作業においても、単に数値を入れるだけではなく、式が削除されていないか(よくコピペの際に誤った手順をして式をおかしなものにしていた)、得られた指標は異常値ではないかを確認するという具体的なポイントまで指示すべきだったのかもしれません。

今回は抽象化能力のレベル差によって引き起こされる齟齬についてお話ししました。

次回、もう少し抽象化能力について掘り下げてみようかと思います。

参考
なぜ、あの人との会話は噛み合わないのか?
会話の「噛み合わなさ」の正体

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?