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テニスに魅せられて

テニス

テニスというスポーツに小学四年の頃から魅了された。兄が始めたということもあり、サッカーと平行してのめり込み、高校までプロの夢を追い続けた。

いま思えば恥ずかしいほどの実力しかなかったが本気だった。

最近では日本人がテニスで活躍し大坂選手や錦織選手、松岡修造さんや杉山愛さん、クルム伊達さんは知らない方でも聞いたことがあると思う。

イメージは卓球の規模が大きくなった版。

間違いではない。

テニスは英国の由緒あるスポーツ。ウィンブルドンでは未だに白シャツ襟つきのユニフォームしか許されていないなど、紳士が嗜むスポーツとしてゴルフ同様愛されてきた。

球を打ち合うだけが醍醐味ではなく、球種を変えたり、ボールスピードを変えるテクニック的な要素もひとつだが今回はルールに着目したい。

スポーツにも共通して言えることだが、ルールやラインなどの制限を設けることでより魅力がでる。

テニスで禁じられていることでとても面白いことがある。

それは"助言(コーチング)"だ

特異なスポーツ

コートに立つ前まではもちろん、コーチは存在する。錦織選手ならマイケルチャンというアジア系のアメリカンだ。

彼のおかげで準優勝まで躍進したことはご存知のことと思う。

試合の放送を見返してもらうとわかると思うが、コーチは大体二階席にいる。そして選手を応援している。なにより声を発しない方がほとんど。

ただ見つめて、良いプレーなら拍手。その程度しかカメラに抜かれない。そして選手はどことなく視線をあわせない。

禁じられているからだ

有名な一戦

記憶に新しい試合がある。

2018.9 USOPEN大坂なおみ対セリーナウィリアムズの一戦だ。

この一戦はとても感慨深い試合となった。

日本人が優勝ということも素晴らしいことだったが、さらにセリーナウィリアムズに勝って優勝したということでなお日本や海外メディアも盛り上がった。

セリーナは女子テニスでもレジェンド的な存在で、僕がプレーしてたころから有名な選手。かれこれ20年近くいるのではないかと思う。

出産をしても表舞台に戻り、世界の第一線で活躍できるプロフェッショナルだ。

そんな彼女、言うまでもなく強い。

だがその強さを微塵にも感じさせなかった。もちろん大坂なおみ選手は強い。だが勝った。それには訳がある。試合途中、セリーナはある警告を受ける。

コーチングによる警告。

彼女が観客席のコーチからアドバイスを受けていると疑われた。これにより、つもり積もった彼女の怒りは審判に向けられた。

結果として、大坂に完敗。セリーナの姿勢にプロフェッショナルではないと批判が集まったのだが、テニスというスポーツの醍醐味だと僕は思う。

実力があるのに、メンタルによって実力が出せない。それを建て直す為の意見が聞けず、ただひたすらセルフコーチングをするしかない。ひたすら、自分が自分に助言をするのだ。

人の極限に美しさをみた

大切なときにアドバイスが聞けない、この極限の中でも試されるのはこの試合、どう生き延びる(勝ち残る)のか。セリーナは自身との戦いに敗れ、実力が発揮できなかったのだ。

実力があっても彼女は敗者となった。

試合途中でこそ、精神を乱してしまった彼女だが、試合終了時に大坂なおみ選手を讃えたセリーナに賛辞が贈られた。ここにスポーツの美学がある。

勝ちにこだわる執着、そこからの行動だったと思うが勝ち負けでは言い表せない壮大さ、改めて勝負の世界の厳しさ、美しさを感じた。

一見、選手たちは試合中も助言を受けてるように思うが、いまなお助言は許されていない。厳密に言えば一部大会では許可されるようになっているのだが、メンタルが崩れればいくら強い選手だとしても圧倒的に負けることがあるということ。

それを建て直す為のコーチングを受けられないことからだ。

テニス選手によってはコーチングの意義を唱える方もいる。ただ、テニスだからこそこのコーチングがないおかげでセルフコーチング、マインドコントロールをしなければ勝てないことを学べる。

個の葛藤

そこにもまたチーム競技とは違った美しさがあるのだ。

僕自身も、過去劣性の時、タオルを頭にかぶりひたすら唱えた。

『お前ならできる。お前ならできる。お前ならできる…』

と。

ここでもしコーチに入ってもらってたら変わったかもしれない。

相手のここを攻めろや、お前のフットワークが遅いからステップを二拍変えろとか。

でも、自分においてはそうでなくて良かったとも思っている。試合に勝てたことは財産。だが自分で考えて負けることも財産だからだ。

いまなお、自分に言い聞かせる時がある。セルフコーチングをする事で良い方向に行きたいと願うのだ。

自分のルーツであり、財産。

テニスをそういった視点で見てほしい。彼らはコートで自分自身とたたかっているのだ。

人生の中でセルフコーチングをする者もいれば、会社や学校を舞台とし、コーチングをされている方たちを尊敬している。

組織のコーチングで市川鉄工所の社長が素晴らしい経営をされている。社員を大事にしながらも組織が向かうべき姿を思い描き時に叱咤し時に鼓舞し、時に愛す。組織において美しい姿で羨ましく思う。

学校教育の中で子供たちと最適に向き合おうとする先生がいる。

土から芽が出て、太陽の光を浴びた子供たち。ただ浴びる角度や水のやり方、様々な外的要因を抱えた彼らの育ち方、向いている方向は違い、そのコーチングは僕は崩壊してしまうほど苦しいと想像する。

ただその先生は関係ない僕をいつも笑わせてくれる。

個人、組織、学校。

舞台こそ違うがそれぞれの魅力を感じている。

スポーツにおいても団体、個人、競技別で全く違う面白さがある。

まだコロナは落ち着いていないが、2021年オリンピックは是非色んな競技を見てほしい。

その中でテニスも注目してくれたらすごく嬉しい。







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