翻訳チェッカーという職業 #1

 いま、わたしは翻訳校閲者と名乗っているが、わたしの定義する「翻訳校閲」には「翻訳チェック」が入っている。翻訳チェックと校閲を合わせたものを「翻訳校閲」と読んでいるからだ。
 自分はそもそも、翻訳校閲者になる前は翻訳チェッカーだった。いわゆるエージェントチェッカーだ。翻訳は外注スタッフに出し、上がってきたら社内でチェックする。それが自分の担当だった。
 数社でチェッカーをやっていたが、最後の会社ではそれを16年やっていたから随分長かったと思う。その後はフリーランスになって、いまに至る。
 という自己紹介を踏まえて読んでいただきたいのだが、少し前にX(旧Twitter)において、翻訳チェッカーを批判・非難する声があちこちから上っていた。特定のひとりというわけではなく、何人もの翻訳者が「チェッカーに訳文を改悪された」と怒っていたし、恨みに近い声を漏らしていた人さえいる。
 ああ、またか。
 わたしが翻訳業界に入った25年以上前から、チェッカーは嫌われ者である。翻訳者が必死で訳した(あるいは、調べた)内容に、何もわかっていないくせに勝手に手を入れられた。そう言われる。
 Xはフローコンテンツ媒体であり議論に向いている場ではないので、あちらで反論することはしない。ここに自分の考えを書いておこう。

翻訳者とチェッカーは別の職業

 まず、わたしは、小説家と校閲者が別の職業であるのと同じように、翻訳者とチェッカーは別の職業だと思っている。ISO17100認証の要件にどう書いてあるかはよく知らないが、上手い翻訳ができる人だけがチェッカーになれるのかというと、そうではないというのが持論だ。
 チェッカーのスキルを大別すると、3つあると思う。

  1. 誤訳を拾える英文読解力(文法面では、構文分析ができること。文脈面では、ロジックで文章を読めること)

  2. 誤訳を書き直せる日本語ライティング力(他人の文体に合わせて日本語を書くスキル。編集者のスキルに類似)

  3. 訳抜けを拾い、誤字・脱字を直せて、事実関係の誤りを拾える注意力(校閲者のスキル)

 3つのうち、今日は1について書こう。チェッカーには翻訳者と同等程度の英文読解力は必要だが、それより優れている必要はない。

誤訳を拾える英文読解力とは

上に、「文法面では、構文分析ができること。文脈面では、ロジックで文章を読めること」と書いた。もう少し違う言い方をすると次のようになる。

1-1 英文法に則った英文をきちんと読める
1-2 英文法に則っていない英文をロジックで推測して読める

 まず「構文分析」と書いたから1-1は説明不要だろう。英文のどこが主語、述語動詞、副詞句で、修飾語がどこにかかっているか……といったことをきっちり分析して読めるということだ。

「ロジックで読む」とは

 では1-2はどういうことか。特に産業翻訳では、原文は必ずしもプロの書き手が書いたわけではない。何を言いたいか不明だったり、ノンネイティブが書いていて英文法に則っていなかったり、英語が間違いだらけだったりということもある。そういう場合も「おそらくこうだろう」とロジカルに推理して読んでいかねばならないということだ。
 翻訳者ももちろんそうやって読むが、間違っていることもある。どんなに上手くて正確であっても、ノーミスの翻訳というのはない。それを探すのがチェッカーである。

「他人の目」だからできる

 なぜそれができるか。「他人の目」「翻訳者とは違う目で原文を読む」から。そういう仕事としての経験を積み、トレーニングをしているから。理由はそれだけであり、チェッカーのスキルが翻訳者よりも優れているということでない。

翻訳者とチェッカーは対等

 翻訳者とチェッカーには上下関係はない。対等である。ただし出版翻訳において、訳文を決定するのは著作権者である翻訳者である。チェッカーや校閲者や編集者は「提案する」役割を果たす。全員の共通認識だと思うが一応書いておこう。
 というわけで、チェッカーはなぜ「翻訳者よりも優れた翻訳ができないのにチェックができるのか」というと、そういう職業だからである。そういう職業トレーニングを積んできており、その正当な報酬として対価を得ているのだ。

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