複数の「一次訳」者の訳文をまとめて「仕上げ訳」をする出版翻訳者へお願い

重要語、頻出語の表記が揺れている校正紙

 出版翻訳者は日本語ライティングが上手い。出版できるレベルと認められて本を訳しているのだ、当然である。校閲者であるわたしのところへ送られてくる校正紙を見ていると「うまいなー、さすがだなぁ」と思う。
 だが、日本語がそれだけ書けるのに、登場人物や地名といった、その本の鍵になるワードや、何十回も出てくる固有名詞の表記が揺れていることがある。
 さらに、頻出語の表記が漢字だったりひらがなだったりカタカナだったり一定していない。たとえば、「椅子」「いす」「イス」と3種類の表記がある。
 最初の方では「椅子」だったのが、次の章では「イス」に変わっていて、さらに先の章では「いす」になっている。そしてその次には再度「椅子」になっている。そんな感じである。
 「思い出す」と「思いだす」などの複合語や、「思いをはせる」と「想いをはせる」「思いを馳せる」「想いを馳せる」といったひとかたまりの語句になると、1つの章、1つの段落内でもばらばらだったりする。これが全章続き、統一されていない語のリストが数百ワードにわたる場合もある。

意図があって使い分けているのでない限り統一すべき

 最初は、何か意味があって(それぞれ意味が微妙に異なるとか、周りのワードに合わせているなど)翻訳者が使い分けているのかと思ったが、そうではなさそうだ。ならば、「椅子」、「思いだす」、「想いをはせる」など、ひとつに統一するべきではないだろうか。登場人物名や地名は言うまでもない。
 なぜこんなに表記が揺れているのか。理由は簡単、複数の翻訳者が訳したからだろう。
 一冊を複数の翻訳翻訳が分担して翻訳し、どちらも表紙に名前が載るパターンもある。「共訳」がそれだ。
 この場合は、用語や表記はひとりの訳者のものに他者が合わせるか、編集者がリストを作ることもあるだろう。だが、わたしがいま言っているのは、そういう翻訳書の話ではない。

複数人が分担して「一次訳」をする場合

 ここで挙げているのは、一冊に複数の翻訳者が携わるが、表紙に名前が出るのはひとりだけというパターンである。
 翻訳者として名前の出る人(つまり、「先生」)の弟子筋が数人選ばれて「一次訳」をする。そして、それを、書誌情報に載る「先生」がチェックしながら「仕上げ訳」を作っていく。そうしたシステムをとっている本のことである。
 出版翻訳界のこのシステムについてどうこう言うつもりはない。だが、「複数の翻訳者が訳したものを1冊の本にまとめ上げる」のであれば、名前の出る翻訳者の人は、やり方を工夫する必要があると思う。

方法1:訳す前に原著を読んでいるケース
ご自身が原著からキーワードを拾って、対応訳語リストと表記リストを作る。「一次訳」を担当する翻訳者に本文を振り分けるときに、このリストを一緒にわたす。

方法2:訳す前に原著を読んでいないケース
ページ数が多い本の場合、原著をすべて読む時間がない場合もあるだろう。その場合は、最初の50ページをまずご自身が訳す。そして訳語リストと表記リストを作る。あとは方法1と同じ。

方法3:別に担当者を立てるケース
一次訳の担当者の中から、あるいはそれとは別に「用語・表記担当者」をひとり決める。当該担当者が訳語リストと表記リストを作る。あとは方法1と同じ。

 上記の方法3つに共通しているのは、名前が載る翻訳者であってもそうでなくとも、「誰か」が訳語リストと表記リストを作り、それをチーム全員で共有する必要があるということだ。

産業翻訳界ならば当たり前

 方法3については、産業翻訳者ならおなじみだろう。翻訳会社のコーディネータや別の担当者が用語リストを作って(現在の主流は翻訳支援ソフトの「翻訳メモリ」だが、考え方は同じ)複数の翻訳者に渡し、それに沿って訳してもらう。
 こうすれば、あとから編集者や校閲者が千か所以上も直していくという工程は避けられるはず。

校閲者の仕事とは

 校閲者としての自らの負荷を減らしたいからだろうと言われるだろうが、ほんらい校閲者の仕事は「表記統一をすること」ではない。
 小学館日本語新辞典で「校閲」を引くと「原稿、書類、印刷物などを調べ検討すること。また、訂正したり校正したりすること」とある。
 具体的には、(翻訳書の場合は)翻訳チェック、本文の内容に筋がとおっていて齟齬がないかどうかのチェック、地名や本文中に出てくる実在の固有名詞、書名、引用フレーズ等のファクトチェック、誤字・脱字のチェック、そして最後に表記・用語がそろっているかの「チェック」をすることなのだ。
 「すでに表記がほぼ統一されている本について、それと異なっている数十か所にコメントを入れる」のは校閲者の仕事の範疇だが、「数百語の表記や固有名詞が統一されていない原稿をきちんとまとめ上げる」ことは校閲者の仕事ではない。もちろん、編集者の仕事でもないはずだ。
 表記のチェックに大部分の労力を割いてしまうと、締め切りは待ってくれないので、丹念に他のチェックをすることができなくなる。ここがきちんとしていれば、ほんらいの校閲の業務をしっかり果たすことができるのだ。

表記統一以上のことを実行しているチームもある

 だから、ご自身の弟子筋に「一次訳」を任せている翻訳者の人たちは、上記のような表記・用語統一システムをとってもらえないだろうか。本の品質そのものを向上させるためである。
 なおこういうことを、きっちりやっているチームもあることは知っている。
 複数の翻訳者が、固有名詞はもちろん、登場人物別に口癖や呼び方をExcelで管理して、きっちりそろえて一冊の本に仕上げたという話を公開の場で聞いたのである。10年近く前の話なので、現在は細かいところは異なるかもしれない。だが根底の考え方が変わっていなければ、成果物がきっちりしたものであることは間違いないだろう。

締め切りが厳しいからこそ

 複数の翻訳者が訳すのは、締め切りがきついのが理由だろう。「一次訳」者に依頼するとしても、時間があればひとりに渡すはずだから。
 しかし、時間がないからこそ、きっちり「統一すべき語は翻訳者の段階で統一しておく」というのがプロの仕事であるはずだ。
 複数人でひとつのプロジェクトに当たるなら、こういうシステムは産業翻訳界では当たり前である。出版翻訳界もそうであってほしい。

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