著者の個性かミスなのか。校正者はどうすべきか
新聞社は「ら抜き言葉」をどう扱うか
X(Twitter)で「ら抜き言葉」を校正者は指摘するかどうかという話題が出ていた。Xの投稿は仕様により改行が多くて読みづらいため、以下に大元の記事のリンクを張っておく。
毎日新聞では、「新聞では『ら抜き』は避けている」という。地の文はもちろん、会話文のところで話し手が「来れる」と言っても「来られる』と直して記事にしているそうだ。これが新聞社の立場である。
出版翻訳者は意図的に「ら抜き言葉」を使うこともある
当該記事を引用したXのポストを引用して、ウォルター・アイザックソン著『イーロン・マスク』を翻訳した井口耕二氏が問題提起をしている。
ら抜き言葉、本によって使い方を変えている(↓)。
— 井口耕二 a.k.a. Buckeye (@BuckeyeTechDoc) October 7, 2023
・使わない
・セリフでは使うけど地の文では使わない
・セリフも地の文も使う
で、2番目や3番目に「ら抜きです」と指摘が入りがち。3番目は気づかず書いてる可能性が否定できないけど、2番目は使い分けだってわからないのかなぁ……。 https://t.co/lLRsmBx0Vj
つまり、訳者として同氏は「ら抜き言葉」を意図的に使うことがあるが、それに校正者(編集者の場合もある?)が指摘を入れてくるというのだ。同氏のふだんの投稿から考えるに、おそらく校正者への苦言だろう。
もちろん、ここで「2番目」とは「セリフでは使うけど地の文では使わない」、「3番目」とは、「セリフも地の文も使う」を指す。つまり、会話には「ら」を抜く、地の文には「ら」を入れると決め、使い分けて書いているのに、それと気づかず校正者が指摘をしてくるのが解せないと同氏は述べている。
校正者の反応は……
さて、苦言を呈された側である校正者の反応もX上で見られる。井口氏のポストを引用して、あるベテラン校正者がこう書いている。
2番目に指摘入れることはまずないし、3番目も作風や文体から判断して指摘しないことあるけどなあ。ほかの校正者のみなさんはどうですか? https://t.co/49ZYT5BCPd
— 冬の庭 (@ombres_errantes) October 7, 2023
つまり、著訳者の「ら抜き」が意図的であると、自分(校正者)はきちんとわかっているつもりであり、だから指摘(鉛筆出し、疑問出しい)はしないよ、ということだ。
これに16人(2023年10月8日 am 7:00時点)がいいねをつけている。おそらく「そんなこと、校正者だってちゃんとわかっているんだから指摘しませんよ」と思っている校正者や、そうしてほしいという著訳者の反応だろう。
この投稿に対して、次の返信が目に留まった。
まず担当者ないし編集者に問い合わせて、筆者の方針なのかどうか(=直すとすればどこまでやるのか)確認したほうがいいですね。
— MOMO (@Arturo_Ui) October 7, 2023
何度か似たようなことが起きているのなら、校閲作業に際して、筆者・編集者の側からも申し送りをしておくべきでは?とも思います。
わたしの考えがまさにこれである。出版翻訳校閲をしていると、編集者から語句統一等について、申し送り書が来ることがある。これがあると「これは意図的にやっているからスルー」「これはミスかもしれないから一応、疑問出ししておこう」と決めて対処できるので、校正者としてはたいへんやりやすい。
申し送りがあるとありがたい
これまで何度も同じ著訳者の校正紙(ゲラ)が回ってきているなら、多少はその人の個性もわかっている。だがそうでないなら、「意図的な表現かもしれないが、校正者の仕事として一応指摘しておきます」というスタンスを取らざるを得ない。
「きちんと見ています」というエビデンスはいつだって残したい。こちらは立場の弱いフリーランス校正者、いつ仕事を切られるかもわからないからである。
「ら抜き言葉」であってもそうでなくても、特に「意図的にくずす」書き方をする著訳者ならば、著訳者本人か編集者からの申し送りはぜひほしい。
校正者側でできること
ここまで書いたところで、校正者の友人、音引屋氏が書いた『文章構成のしをり 増補改訂版』を思い出した。
p25に「校正のコツ 其の三」というコラムがある。「校正記号だけでは伝えられない指摘は著者さんへの経緯を忘れず、丁重に」と題された本文には、こんなくだりがある。
「この語は本来◯◯◯という意味がありますが、近年△△△という意味でも使われているので、ママでよいでしょうか?」と鉛筆書きします。時にはその頭に「(念のため)」を付け足すことも。
同氏は、コメント文言をここまで丁寧に書いているのだ。
わたしはこれまで「ママでよいですか?」と書くことが多かった。だが先日このコラムを再読して以来、「次はわたしもこのように書こう」と肝に銘じ、そのようにしている。
校正者としては「ミスなのか著者の個性なのか不明」なら疑問出しをするのが仕事。だが、読み手が不快に思わないよう、そのコメントの書き方に気を配ることならできる。できることはしよう、面倒がらずに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?