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引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(前編)

僕が今住んでいる場所は愛媛県。
生まれ故郷も愛媛です。ですが学生の間大半の時間を香川県で過ごしました。

時間で言うと約9年間。
家族と離れて生活をしていました。

今回は僕の子供時代の話をしたいと思います。 


物心がつく前の話

まず幼少期の話。親が僕の体の異変に気づいたのは一歳を過ぎた頃。ハイハイと掴まり立ちまではするものの一向に歩く気配がない為、不審に思い、病院に連れて行ったそうです。

最初行った病院では原因がわからず県外の病院を紹介され行く事に。

その病院には神経内科があったので受診しました。そしてのちに脊髄性筋萎縮症という難病だと判明しました。

友達や親戚に障害を持っている人がいない両親にとっては全く知らない世界に放り込まれた瞬間だったのだろうと思います。

どんな病気なのか、治るのか治らないのか
きっとそんなことを考えていたのだろうと。

幼い頃にそんな話を聞いた気がします。

物心がついてから

自分がはっきりと記憶がある年齢となれば3〜5歳ごろからでしょうか。

僕は一人っ子で人見知りも激しく。周りに障害がある友達もいなかったしそもそも子供の友達さえ少ない。大人とばかり話す子供でした。

そんな僕も幼稚園に通うようになります。
僕が行っていた幼稚園は一般の幼稚園なので健常の子達が大半。クラスの中に車椅子は当然僕だけ。

今までも健常の人の中で生きてきたけれど
この時初めて色んな意味で自分は人と違う部分が多い人間なのだと改めて感じた瞬間でした。

とにかく人見知りがひどく、自分から話しかけることは出来なかった。
でもそんな中最初は物珍しそうにしながらも少しずつ色んな子が話しかけてくれて遊ぶようになりました。

その時二人の親友に出会います。
この二人が今もつながり続ける友達です。

そのうちの一人の男の子と幼稚園外でもよく遊ぶようになります。

ある日その子に「なんでウッディくんは短パン履かないの?」と言われました。

僕は幼い頃に短パンを履くのがとても苦手でした。

当時短パンを履きたくないのは理由がありました。それは足の太ももに大きな傷がある事。

僕の病気を調べるときに筋生検といって筋肉の一部を切除して調べる検査をします。その時の傷が大きく目立つので子供ながらにコンプレックスを抱いていました。

聞いてきたその子自身はその場でそれ以上聞かなかったと思いますがその後。その子のお父さんと話していると「その傷も含めて君なのだから恥ずかしがる必要はないよ。だから気にしなくていいと思うよ。」と言われました。

人との違いばかり気にしていた自分ですがその時初めて、人と違うなにかを自分自身が許容できた気がします。

見た目が変わった瞬間

それから少し経ってから僕は入院をします。
肺炎になり、呼吸状態も悪くなります。

その結果気管切開をする事になります。

喉を穴を開けて管を通し呼吸をしやすくする。
でもそれは同時に食事が難しくなったり声を失う人もかなり多くいます。僕自身も気管切開をしてる人と数多く知り合ってきましたがほとんどの方が声を失っていました。

でも生きる為に必要な事なのです。

当時手術をする前に両親から説明があったようですが当時の僕は5〜6歳の子供ですから理解できるはずもなく、なんとなく手術をするんだな。くらいしかわかっていませんでした。

手術当日。何もわからず手術室に行き麻酔で眠りました。

そして目が覚めると目の前には母がいました。喉には違和感。何より声が出ない。喋ろうとしても空気が喉から漏れる。

その中で奇跡的に恵まれていたのは微かにではありますが声が出ていた事。(執刀して頂いたお医者さんにもありえないと言われました)

もう何しろ20年前なので僕もあまり当時の事は覚えていませんが、第一声「お母さん…」と呼んだ事は今も鮮明に覚えています。

そこからどうやって今くらい話せるようになったかは長くなるのと僕自身も説明が難しいのでまた機会があれば書きたいと思います。

ここからまた私の人生は一変します。

今は発声がはっきりと出来る私も最初からできたわけではなくきちんと声が出せるまでに1年くらいかかった記憶があります。

日常生活の会話のほとんどがなかなか聞き取ってもらえない…それは相当なストレスでした。聞き取れないくらいの声量だと自分でもわかるだけにどこにぶつけていいのかわからない悔しさがあったと思います。

家族にも当たり散らし物を投げ暴れる日々。
当時使っていたものは基本壊れるし
筆記用具は大体バキバキに折れていました。

当時5〜6歳の子供ながらにこのままではいけないと感じていました。

今みたいにネットが発達してるわけでもなく情報を集めやすい環境でもなかった(そもそも発声できる人が少ない) 

だから自分で方法を見つけるしかないと思った。

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