関係A──新しい言葉が要る話

言葉は関係性を決める。「友達」と呼んだ瞬間から、あの人はあなたにとって友達であることが確定する。「彼氏」と言われたら恋人であり、「夫」になれば配偶者だ。そんなことは誰もが知っていて、受け入れている。あの人は私の夫、あの人は同僚、彼は先輩で、彼女は友人で。そんな風に、自分を取り巻く関係に名前をつけて理解している。

だけど、どんな言葉もしっくりこない関係があったらどうだろう。その人をあなたは何と呼ぶのだろう。ここ1、2年、そんな「呼称」に関わるモヤモヤを聞くことが増えた。それは主にパートナーシップ──恋人でも体の関係でもなく、夫婦でも愛人でもない人をなんと呼ぶか──という悩みだった。

「私は夫のことを相方って呼んでる。旦那とか夫ってなんか違うし、結婚してるから彼氏でもないし……」
「結婚していないけどお付き合いしている女性がいて、なんて呼べばいいかわからなくて困ってる。『パートナー』っていう手もあるけど、もうちょっと範囲を狭めたい。恋人でも彼女でも、家族でも友人でもなくて、呼び方がわからない」

もちろん「敢えて名前をつける必要があるのか」という考えはあるだろう。曖昧な関係は曖昧なままでよくて、わざわざ関係性を決める言葉を持たなくたっていい──そういう意見もありだし、自分はどちらかと言えばこの見解に与する。あなたと私は、あくまで「あなたと私」であって、それ以外のものじゃない。それで十分じゃないか?

だけど、複数人が同じような悩みを抱えているということは、これは新しい言葉(と概念)の誕生が待たれているわけで、自分はその流れを冷笑しようとか妨害しようなんてことは思わない。彼らの納得のいく表現を見つけてほしいし、「パートナーでも家族でも恋人でもない、付き合っている大切な人」を指す言葉の登場は、人々のパートナーシップに関する考え方を変えるだろう。言葉には、人の思考を作る力がある。新語の誕生は、新しい思想が広まる、始まりの合図だ。

「結婚していないが特別な関係にある人」を仮に「A」と呼ぶことにしよう。Aはなんのために必要とされたのだろう。今までの「夫/妻」のような性別の特定を避ける役割がまず、ありそうだ。性別からの解放。そして、結婚制度へのこだわりがないことから、社会的制度としての「入籍」からの離反でもある。既存の役割や制度から自由になることが「A」という関係には期待されている。

これらが意味するのは、パートナーシップにおける性差を強調している社会の終わり、結婚という制度が見放されていく流れだ。「A」にどんな新しい言葉が当てはめられるか私は予想できないけれど、その言葉が人口に膾炙した時点で人々の考え方が大きく変わっていくことは十分、考えられる。新語の登場は、社会の変化を示すものであると同時に、それ自体が社会を変えもする。それまで見えないところでうごめいていた現象が、それを示す言葉を手に入れて一気にその力を発揮することはありうる。自分にできるのは、その気配を察知して備えることくらいだ。「関係A」は、きっと誰かが適語を見つけてくれるだろう。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。