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私の作る辞書

マイ箸、マイバッグ、マイ辞書。「最後のやつ何ですか」と言われそうだけど、これは自分なりの辞典のことだ。最近おもいついて、あったらいいかもしれない、と思った。語義解釈の全部を、自分の見解でまとめる辞書。なにも「あ」から「ん」まで律儀にやらなくたっていい。思いついた言葉から列挙していって構わない。

例えば「広い」という言葉の意味。普通の国語辞典なら「面積が大きい、心がゆったりしている」などど書くところだ。それ、自分ならどう書きたいか──。そんなことを考えてみる。

ひろ-い【広い】
基本的に良いイメージで用いられる。「心が広い」と言えば、それは「許容範囲の大きい善人」という意味だ。なぜ広いことはよいことなのだろうか。土地でも広いほうが値段が高い。中には「狭い空間が好き」という人もいるかもしれないが、世間で「四畳半」と言えば、それは狭いところにしか住めない慎ましい暮らしを示す。一般的に言って「広い」と対を成す「狭い」の言語イメージは否定的だ。

考えられる仮説として「広いところは視界が良好である」ことが挙げられる。周りに障害物がなく、敵や危険が潜む心配がなく、広く見渡せる場所は、人類にとって身の安全を意味する。私たちは、自分の身を守るという、至って本能的な理由から広い場所を好むのだと言えよう。

それは現代でもたいして変わらない。視界が大きく開かれている場所では、誰か他人がそこに入ってくればすぐに気づく。他人の登場に不意打ちを食らうことがない。「広い」の意味は恐らく、身の回りに視界を遮る障害物がない、それによって身の安全を守りやすくなっている安心感に存するのだと言える。

あるいは、「あ」のページに、自分の好きな短歌を載せたい。いま手元にある旺文社の国語辞典では、1ページ目に与謝野晶子の短歌「ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す 君もコクリコ 我もコクリコ」が載っている。同じ「あ」から始まるなら、自分は「あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る」を掲載したい。万葉集に収録された、額田王(ぬかたのおおきみ)の恋の一句。

「袖を振る」というのは、当時の求愛表現の一種だったそうで、万葉集の他の句に「君の家の前で振り過ぎて、僕の袖ボロボロなんだけど」っていう内容のがあったはずだ。それも辞書に載せたい。袖繋がりで。

これ、他の人の書く辞書が読んでみたくなる。知人の彼女は「愛」の欄に、どんな語義解釈を書くんだろう。哲学の教授に「自由」の項を任せたら、いったい何ページかかるだろう。ああ、私も「自由」の語義は書いてみたいな……。自分なりの辞書、ひょっとしたら時々思いついて、書き続けるかもしれない。

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。