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言葉の響きの持つちから

 フランス語は美しい、とよく言われる。お隣ドイツには誰も触れない。だいたいの人が「ドイツ語は固い。『ゲガンゲン』とか発音が怖い」なんて言ったりする。うーん。そうかなあ、どうだろう。

 確かにフランス語は、流れるたくさんのシャボン玉が弾けながら、空気中を駆け抜けていくような音の連なり。だけど日本人の自分の耳にはときどき「r」の音が「おえっ」ってなってるときのかすれた喉の音に聞こえて「美しい」と言い切れない。

 それならドイツ語がそんなに負けてないか、と言われるとこれはやっぱり固い。固いけど、リズムがある。テキストを読んでいると、一個の一個の意味のまとまりが音と共にちゃんと着地する感じがあって、頭の中で音楽が鳴るように読める。ベートーベン、ワーグナーなどなど、巨匠と呼ばれた音楽家がドイツ語話者だったのは、偶然ではないんだと思う。

 フランスはセルフブランディングがうまい。私たちの言語は最高よ、論理的に組み立てられ響きも美しく、まさに愛を語るためにあるような言葉……と学習者を勧誘してやまない。本屋の語学コーナーに行くとわかるのが、フランス語の人気っぷりだ。英語が一番広く場所を取るのは仕方ないとして、非英語圏なら不動の地位を誇る。
 学習書にもユニークなのが多く、また数も多く、初心者を取り逃がすことのないラインナップ。そのあたりの魅力の押し出し、プッシュの強さは並ぶ国がない。

 もっとも言語を研究している人に言わせると、フランス語は言うほど論理的ではなく、また日本語も言われているほど曖昧ではないらしい。それでも繰り返し宣伝していれば、いつか世間はそのイメージで自分を覚えてくれる、ということをフランス語から教わる。

 その点、ドイツは控えめだ。「勉強したい人だけ門を叩いてくれればいいです」と言いたげで、押しが弱い。実は「愛する」を意味する動詞が豊富だったり、韻を踏む詩はメロディなしの歌のようだったりするのだけれど、どうにか道を分け入って「入門」した人にしかその扉は開かれない。いけずな言語だと思う。

 そう考えながら本屋のお手洗いにいたら、店内BGMでフランス語のシャンソンがかかった。それまでドイツ語の美しさがどうこう、と言っていたくせに、その歌を聞いたとたん「とはいえやっぱりシャンソンはフランスですねえ……」になった。歌うフランス、純粋音楽のドイツ。

 そういえばヒトラーの演説を生んだのもドイツ語だった。音楽的な響きは人を酔わせもする。パリでもレジスタンスの名演説が聞かれたものの、独裁者を越えることはなかった。言葉って恐ろしい。人の心を捕らえられるのがいいことだとは限らない。

 ただフランスでは現在右翼が台頭し、一部でそのスピーチが話題になっている。フランス語関係の話とあって自分も覗いてみて、あ、これ怖いな、と思った。言っている内容がいいか悪いかに関わらず、「美しい言葉の流れでしょう?あなたはもっと私の言うことを聴きたくなります」と暗示をかけられているような、人を動かそうとする音。

 綺麗な言葉は、人の美しい外見に似ている。誰でも身なりの整った、そのうえ容姿の優れた人の言うことを信じやすく、逆に不潔で顔を歪めた人が何を言っていても取り合おうとしない。内容以前のところで、聴いてもらえるかどうかが決まっている、そういう隙間に言語の響きはスッと入り込んでくる。

 「日本の政治家は演説が下手」と言われがちだけど、とびきり喋りが上手の実務がさっぱりだったら困るよ。欠点は欠点として保存しておいてもいいんじゃないか。言い古されたことは大事だから言い古されるのであり、そう「大事なのは中身」。人も言語も、それは変わらない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。