久々テレビの感想文

自粛中で話す人もいないので、久しぶりにテレビを付けた。一年以上見ていなかったせいで、リモコンはすっかり埃をかぶっている。ニュース番組はやっていなくて、バラエティー番組とドラマばかりだった。30分も見ていられずに消した。

テレビから離れる明確なきっかけがあったのかどうか、もう覚えていない。最後に見ていたのが刑事ドラマだったのは覚えている。当時自分は高校生で、ドラマの演技はいまほど芝居がかっていなかったような気がするけど、これは単に記憶が美化されているだけかもしれない。それからは、見たいと思う番組もなく、一人暮らしで電気代を気にするようになったこともあって、ほとんど見なくなった。強いて言うならNHKの語学番組をごくたまに見た、それくらいだ。

小学校の頃のように狭い教室の中で生きているわけじゃないから、流行りの芸人や俳優を知らなくても困らない。音がなくて退屈なときはラジオを聴く。AMで洋楽ばかり流す局があるから、それをずっと流す。時代に関係なく有名なヒット曲を聞かせてくれるスタイルがいい。マイケルジャクソンが流れたかと思えば、Maroon5やテイラースウィフトが出てくる。リアルタイムであることにこだわらない編集。

どうしてテレビを見なくなったんだろう、逆に以前は何が楽しくて見ていたんだろう。オンタイムで皆と同じ情報を共有するのが面白かった?でも、いまそれは完全にSNSに取って代わられている。単に面白い番組がなくなった?そうかもしれない。ただの噂話を真剣に検証することで有名だった『トリビアの泉』なら見ていた。それももう10年以上前の話だ。

この現象は自分にだけ起こっているわけではないだろう、テレビを見ない人は増えている。パソコやスマホの普及もその理由だろうし、ミニマリストが増えてテレビを持たない人が多くなったのもあるだろうし、単に面白い番組やドラマが減ったのかもしれない。テレビの視聴者は確実に減った。でも、間違いなく今なお大きな影響力を持っていて、出演した人は一瞬で全国に知られる存在になりうる。よくも悪くも。そして出演しない人は、どんなに正しいことを言っていても、その圧倒的影響力を持つチャンスがない。

怖いな、と今さら思う。テレビは、何かを扇動するにはもってこいの媒体だ。テロップとBGMがあれば、シンプルな事実をどこまでも大げさに見せられる。自分が見ていない間に、コロナに対してもそれが存分に発揮されたんだろう、と一周遅れで実感する。

「でもテレビっていうのは、視聴率が取れなければ死ぬ。存続しているなら、それは結局人々が選んで見ているってことなんだ」
そんな台詞を思い出す。ああ、それでドラマもバラエティーもああなのか……人の感情を動かすようにできている、そのほうが人々の注目が集められるから。結果として番組の視聴率が上がりスポンサーの利益になって……。そしてその仕組みの前で、倫理や正しさがどんどん犠牲になっていく。

それに対抗するには、小さなメディアがたくさん乱立するしかないんだろう。それは個人の発信するSNSだったり、地方紙だったりラジオだったりするのかもしれないけど、それひとつでテレビに対抗できる媒体は今のところない。だとしたら、大きなメディアが何か間違ったことを言ったりしたりしたなら、それに対して個々人が微力ながらもそれを訂正し適切に批判していく必要があって……。これからは、そういう小さくて緩い連帯の時代なんだと悟る。

テレビしか見ない知り合いのために、アナログな新聞を個人発行してみようか……。テレビを久しぶりに見た結果、そんなことを考えている。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。