ユダヤな話
ユダヤ人であるってどういうことなんだろう。日本に生まれ暮らす自分には、いまいちピンとこない。世界史で習う以上のことを知らない。
昨日みた映画『オフィサー・アンド・スパイ』は、ドレフュス事件を元にしている。無実のユダヤ人、アルフレッド・ドレフュスが冤罪で捕まり、その判決を巡ってフランス中の世論が真っ二つになった事件。軍の大尉だったドレフュスは、悪魔島と呼ばれる場所へ島流しとなる。
劇中では「ユダヤ人に死を」とのショーウィンドウへの落書きや、彼らへの侮蔑的なセリフが出てきて、やっぱりわかんないなと思った。ユダヤ人ってなんなんだろう。なんでこんな憎悪の対象になるんだ……。
そこにはもちろん政治的・宗教的な理由があり、それを説明してくれる人も数多いが、どうにも腑に落ちない。同期ともこの話をしたことがある。日本人にとってユダヤ人はただ「外国人」におさまっているから、欧米での温度感がよくわからないよね、と。
岸恵子のエッセイに「ユダヤとの出遭い」と題された一本があって、なんとここにドレフュス大尉が出てくる。舞台はフランスだ。
パリで友人たちと靴屋に入った岸は、足が小さすぎて店主に嫌味を言われる。「パリ中捜してもそんな小っちゃな足にあう靴はありませんよ。子供専門店にでも行くか、それより、いっそ植民地にでも帰った方が早いんじゃないの」。
その態度に怒った友人たちは即座に店を出ようと提案し、一人が去り際に店主に叫ぶ。「なによッ、汚いユダヤ人!」
叫んだほうがテレーズ、もう1人の友人がニコール。このニコールという人が実は当のユダヤの人で、ドレフュス大尉の孫だった。「私の祖父も汚いユダヤ人、と言って罵倒されたわ。フランス中の人から……」。
彼女の次の台詞は、エッセイ中の7行を割いて書かれている。
映画では、ドレフュス大尉はそこまで憔悴しきったようには描かれない。悪魔島に流されたあとは白髪になっているものの、少なくとも終始、二本足で立てる人として出てくる。エッセイによると、実際はその年齢に見えないほど老けこみ、衰弱し切っていたらしい。
こっちが本当だろうな、と思う。
もうひとつ、こちらはアメリカの現代作家、ポール・オースターによるエッセイ。自分をアメリカ人だと信じて疑わずに育ちながら、ある日「ユダヤ人である」ことを突きつけられる、そんな体験を描いている。
目に見えない透明な壁。目に見えないからこそ、壊すことも打ち破ることもできない。欧米における「ユダヤ」の立ち位置は、そんな風に見える。そうしてそれ以上のことを私は知らない。
ドレフュス大尉は、10年以上もの時間をかけて無罪を掴み取った。映画『オフィサー・アンド・スパイ』はフランスで多くの観客を動員し、ベネチアで銀獅子賞に輝いた。この映画が流行るところがフランスの懐の深さだ、と言う人もいた。
わたしのほうは、反ユダヤ主義があたりまえのように描かれる展開が理解できずに、やっぱりわからないなあと思う。でもこれは有識者によれば傑作らしいので、わからない私が悪いのかもしれない。こう思いつつ、岸恵子とポール・オースターを読んでいる。