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科学と料理、しあわせマリアージュ

 小説を買いに本屋に行くと、いつも別のものを持って帰ってくる。フィクションを買う才能がないのかもしれない。今日、読んでいるのは『一晩置いたカレーはなぜおいしいのか 食材と料理のサイエンス』。

 自分がふだんカレーを作らないので「一晩置くとおいしい」とノウハウだけ出されても興味がわかない。ただ「なぜおいしくなるのか」と言われると、それは知りたい。
 
 本によれば理由はいくつかあり、ひとつが寝かせているあいだにうまみが溶けだすから。もうひとつは、ジャガイモに含まれるデンプン(粘度が強い)も溶けだすから。そうするとカレー全体がより粘っこくなり、舌に味が残りやすくなる。
 
 ただし寝かせすぎると菌が繁殖するのもカレーの特徴であり、翌日まで食べないのであれば「必ず冷蔵庫に入れるようにしてください」とのこと。食べない人間としては「へえ」で済むけれど、ふだんから作る人にとっては大事な話だった。
 
 「本場はインド」というイメージのある料理だが、実際のルーツは違うらしい。英国海軍がシチューを保存するのに、牛乳ではなくカレーパウダーを使ったのが由来になる。言われてみれば、シチューの具とカレーの具って大差ない。そうか、インド×イギリスの料理なのか、あれ。
 
 インドが起源と見せかけつつイギリス海軍によって手が加えられたカレーは、日本でさらに進化して、最近では世界の食のトップに躍り出た。数奇な運命だ。

 カレーが1位、カレーライスが43位、いずれも国籍は日本。4位の中国料理「tangbao」は小籠包かな……?
 
 料理のうまい人は、多かれ少なかれ科学的思考の持ち主に見える。仮定を持って実験し、結果をもとにさらなる仮説を立てる。今日のおかずはなぜ微妙においしくなかったのか、火加減が悪かったのか、それとも水が多かったか、とか考えて。
 
 「科学」と漢字二文字にするといきなり拒否反応を示す人もいるけど、そんな小難しいものじゃない。目の前の料理の中にもそれはある。おいしい料理を追求する人なら日々やっていることは、広い意味での「科学」にあたるだろう。
 
 緑のピーマンは苦い。なぜ苦いかといえば、まだ熟していないピーマンは(熟すと赤くなる)、食べられないように苦味で身を固めるから。人間にとって苦味とは「毒があるから食うな」を意味する味であり、子どもほどこの本能に忠実だ。だから多くの子どもはピーマンを嫌う。
 
 ただ切らずに熱を通した場合、緑のピーマンであっても苦みをなくすことができる。まるごと焼いたら子どももおいしく食べられます……。こう聞くと、んーやっぱサイエンスっていいなあ、と思う。こういうことのためにあるよなあ科学。
 
 裏を返せば、科学力の弱い国では食卓の進化も見られないんじゃないか。未知の食材の研究に取り組んだり、世界の食卓をよりおいしいものにしていくことだってできないんじゃないか。
 
 「科学」にアレルギーのある人は「むずかしい話をする連中、わたしにはわからないことを言いそう、うざい」とか思っているのかもしれない。けどそういう人だって、おいしいものがおいしい理由は知りたくなるんじゃないだろうか。
 レタスは手でちぎって食べるほうが旨く、寿司を食べるときにはお茶をいっぱい飲もうと言われたら「どうして?」って言いたくならないか。
 
 「どうして?」にたくさん答えられるのはいい社会だ。そんな気がする。そうしてそこにはいつも「サイエンス」「科学」があると思うよ。むずかしい話じゃなくて、カレーは一晩寝かせるとおいしいよね、なんでだろうってそこから簡単に始まる話。
 
 それにしてもカレーってインド由来じゃなかったんだ。なんならそれが一番記憶に残ったかもしれない。小説は買えてない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。