人はなぜ幽霊を怖がるのかと人はなぜモノマネを観て笑うのかを解き明かすことで、人の心のメカニズムを解体・分析し、心とは何かを解き明かそうというのが、このマガジンの趣旨だ。
では、「人は幽霊のモノマネを怖がるのか、笑うのか」と問うてみてはどうかと思いつき、検証することにした。
筆者がまず体験として思い出したのが、稲川淳二や落語家、噺家の怪談だ。体験としては笑うことなどできないくらい彼らの話は怖く、逆にその稲川淳二のモノマネはどうしようもなく笑ってしまう。俯瞰で観ると滑稽で笑ってしまうが、1次情報ソースはめちゃくちゃ怖いとはいかなることが人の心に起きているのだろうか。
小学生の頃、どんな題目だったか覚えていないがこんな落語を聞いたことがる。
何分50年近く前のこと、記憶が不鮮明な部分をかなり脚色していいるが、概ねこんな話だったかと思う。筆者はこれを偉く気に入り、学童保育クラブの夏祭りでこの題目を自分なりにアレンジして披露したことがある。会場は大いに沸いた。お化けの話をしているのに人は笑うのである。そのとき少年だった筆者はお化けのモノマネらしき動きをやって見せて、それが特に大人には受けたのだ。
幽霊ではないが、妖怪のモノマネをして人はそれを観て笑う。より大人に受けが良かったのは、小学生が一生懸命妖怪のモノマネをしている姿が滑稽に見えたのか、それとも「似ている」と思ったのかはもはや確認する術がないが、思うに、大人ほど唐笠お化けや一つ目小僧、蛇女に徳利お化けのイメージがあり、そのイメージに近づけようと身振り手振りで表現しようとしている子供をかわいいと思いながらも、それをイメージできない何人かの子供よりは笑えたのではないだろうか。
実際、廃墟のような寺に何日も寝泊りするというだけで人は怖いと思うはずだし、妖怪が実際に現れるまでの物音や気配、肩を叩かれたり息を吹きかけられるというはともすれば失神ものである。
これはそもそもが笑い話なのでキンカンの法則がきちんと生かされている。だが果たしてそれだけで人は笑えるのだろうか。
超自然的で不可解なものを人は怖がる。その具現化が幽霊であり妖怪だとすれば、その話だけでも人は怖がるはずである。にもかかわらず笑い話として成立するということは、これまで述べてきたように人が何かを大笑いする心を手に入れたのは、やはり極度の緊張状態=恐怖を笑いによって帳消しにする必要があったからではないか。
そしてつまり逆もある。笑いが緊張に変わる瞬間、恐怖心は増すのではないだろうか。次回はそのあたりを検証しようと思う。
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