見出し画像

言葉を尽くす大切さを伝える

#未来のためにできること

 コミュニケーションは、要らない。僕の大好きな作家の著書のタイトルだ。そこで語られているのは言葉を尽くすことの重要性であり、簡略化されたコミュニケーションは何も生み出さないという警鐘だと僕は受け取った。故に僕はアンチテーゼを示し、本質を理解すること、理想と現実を別々に考えないことに主眼を置いて様々なテーマを書き記してきた。
『未来はもっといいものだと思っていた』とは大好きな音楽家と漫画家の対談で語られた言葉だ。これを聞いた時のインパクトは強烈で、それまで言語化できなかった将来への薄っすらとした失望感や閉塞感を浮き彫りにしてくれた。
 ときに『言葉』は誰かの思考に働きかけ、大きなひらめきを産む。SDGsという言葉が身近な何かに大きな影響を与えているという感覚はまだ薄い。実際の取り組み、ニュースで流れる各国の立場や目標は理屈ではわかっていても手に触れるような実感がわいてこないと感じる。
 それをもっとも身近に感じるのは昭和40年代生まれの自分がその上の世代と会話をするときである。自分よりも多くの経験を積んだ彼は「何をしても世の中はかわらない」という言葉を人前で口にする。僕はいまだに「それは変えようとしてないし、変わりたいと思っていないし、変えることを考え続けていないからではないか」といった想いを言葉を尽くして話しても受け入れてもらえる空気にならない。自分の不甲斐なさを感じながらも僕は言う。もしもあなたの子供や孫たちが、あなたに向かってそのようなことを言い放つのを見て「そうだよね」といえるのだろうかと。そしてその言葉すら届かないのであれば諦めるしかないと僕は腹を括くり直す。
 僕は町の居酒屋からでも世界は見えるし、変えることができると信じている。必要とあらば今の世界が抱えている問題について何時でも誰とでも議論ができるように構える。それがこんな世界にしてしまった大人の最後の責任の取り方ではないだろうか。
『死んでからも本は出る』は敬愛する執筆家の残した言葉だ。だから僕は言葉を尽くし、まだ出会っていない人、未来の人たちに言葉を残したい。僕たちは何を間違い、何に気づいたのかを。自分の言葉の重みを侮ってはいけない。物事は簡素だ。できると思わなければ何もできない。
 それを理解し、実行することが困難であることを知る大人だからこそ、新しい試みの想いに向き合い、言葉を選ぶべきなのだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?