少年と金魚

少年と金魚


 その少年と出会ったのは、小雨の降る夕方の公園だった。

「ボク、ひとりかい?」

 そう声をかけるまでの間、私はタバコを1本吸い、自動販売機で缶コーヒーを買って飲み干し、パンパンになった携帯灰皿に吸殻を押し込んでからのことだった。

「うん」

 6月。長梅雨の真っ只中。天気予報を見る気にもなれない。

「こんな雨の中で、何をしてるんだい?」

 小学校に上がったかあがっていないかくらいの男の子は、水色の長靴に黄色の傘を差し、おもちゃのバケツとスコップを持って、公園を囲む植え込みに小さな穴を掘っていた。

「お墓を作っているの」

 よく見るとバケツの中には一匹の金魚の亡骸が横たわっている。大人の小指ほどの大きさのそれは、お祭りの金魚すくいで見かけるいわゆる金魚だった。

「そうか。えらいんだな。ボクは」

 私は、その言葉を考えなしに、口にした。

「ボク、ちっともえらくなんかないよ」

 私は戸惑った。

「どうしてだい? こんな雨の中、ひとりで金魚さんのお墓を作ってあげるなんて、えらいじゃないか」

 少年は穴を掘る手を止めて、私に向き直った。

「だって、ボク、金魚さんを殺しちゃったんだよ」

「殺しちゃったって、ボクがかい?」

「うん、ボクが悪いんだ」

 私はかがみこんで、少年の顔を覗き込んだ。

「そうか。じゃぁ、ちゃんとお祈りして、金魚さんにゴメンネをしないといけないね」

「うん」

 少年は再びおもちゃのスコップで穴を掘り始めた。

「ねぇ、おじさん、死んじゃった金魚さんに謝ったら、ちゃんと金魚さんに聞こえるのかなぁ」

「それは、おじさんにもわからないなぁ。聞こえるのかもしれないし、聞こえないのかもしれない。でも、それはどうでもいいことなんだよ」

「ふーん」

 少年は不思議そうな顔をしたが、バケツの中の金魚の亡骸をそっと手に取り、話しかけた。

「ごめんよ。金魚さん。ボクは知らなかったんだ。金魚さんはお外に出たら死んじゃうなんて」

「そうだな。お魚は水の中でしか生きられないんだ。人が水の中で生きられないように」

「でも、僕の絵本の金魚さんは外に出て、かくれんぼしてたんだよ」

「そうだね。でも、ボク、絵本の中の金魚さんは、やっぱり絵本の中でしか生きられないんだ」

 少年は小さくうなずいた。

 少年は金魚をそっと掘った穴に置き、土を元に戻していった。

「ボクはえらいな」

「どうしてさ、ボクはちっともえらくなんかないよ」

「ちゃんと謝れるってことは、なかなかできないことなんだよ」

「だってぇ、ちゃんとごめんなさいをしないとママにしかられるもの」

「そうだな。じゃぁ、家に帰ったらもう一回ちゃんとごめんなさいって言えるかな」

「うん」

 少年は晴れやかな顔で返事をした。一瞬雨が弱まった気がした。

 私は少年の頭をなで、その場を離れた。

 公園の出入り口で足を止め、後ろを振り返る。

 そこに少年の姿は、もうなかった。

「ごめんなさいかぁ」

 私はタバコに手をかけて、それをやめて式場に向かった。

 母の通夜の準備をしなければいけない。

 逝ってしまった母に、私の声が届くかどうかわからない。

 私がこの世に生を受けてから、ずっと母はいたというのに、とうとう言うことができなかった。

「ごめんよ。母さん」

 再び雨は強く地面を叩き始めた。

 しかしその音は、私の心にやさしく響く。

 あの少年の金魚の魂が、この雨空を登って私の思いを母に届けてくる。

 そんな考えがふと、頭の中をよぎった。

「あの少年は、ちゃんとお母さんにごめんなさいを言えただろうか」

 私は少しだけ、あの少年のことをうらやましく思っていた。

 おわり

イラスト元:西山和見

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=41303646

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