空へ羽ばたいてしまった相棒に
皆さんこんにちは!メオトブログのツバサです!
最近忙しいことだらけだし、やる事多いし、どうなってんだー!って思いつつ、そういえばnote全然更新できなかったと思って今パソコンの前に居ます。(*'ω'*)w
今回のタイトル、意味深ですよねwそうです、意味深にさせてるんですw
今回の記事は、悲しい気持ちになってしまった最近の出来事をお話しようと思います( ゚Д゚)
あ、あとYouTubeから来られた方!
バイクYouTubeも始動しましたのでどうぞこちらへ!
YouTube→https://www.youtube.com/channel/UC9tnS-hfT-DtnQGb_nchqOA
と、その前にツバサの自己紹介を...
17の頃の彼女が脳腫瘍で亡くなり、解離性の人格障害になり(今は回復しています)
18の頃に次の彼女に貢ぎすぎ、最終的に100万前後の借金を抱え
20の頃に自営業を開始、直ぐに破綻、派遣・契約社員を経て
大手で部下を抱え営業活動出来るまで努力したが部下2人が亡くなり
自分と会社を責め精神を壊した経験を生かして現在では不安障害・パニック障害と闘病しながら自分や周りの人を支える為YouTube・ブログ・SNSで多ジャンルで活動中
と、ここまでが毎回の定型文になるんですけど、破天荒な人生でしたね( ;∀;)
個人相談はこちら!→ https://www.timeticket.jp/items/93225?s=0
さて!!本題本題!!
・・・・・・・・...
どこから話そうかな...w
結論言います!w(急に雑になるやつw)
5年間共にしてきた僕の相棒のninja400(バイク)がとうとう動かなくなりました...悲し...w
いや、冗談抜きですよ!?まぁ最後まで見たら悲しさ伝わると思いますわ!w
――――――――――――――――――――――――――――――――――
相棒との出会いは、2015年に自分の父から新車で買って貰ったところから始まります。
その前に僕、バイク便でエリミネーターってバイクを使ってたんですけど、これがオーバーヒートしてしまって、買わざるを得なくなってしまったんですよね。
そこで当時、一文無し社会人スタートの僕は、父に頭を下げて分割支払をする事で何とか手に入れた2代目のバイクだったんです。
当時はウキウキで、「新車に乗れるなんて夢でも見てるのか―!?」ってずっと思ってました。
ですが2週間後、峠で単独事故をしてしまったんです。
その時の僕はバイク便で公道に慣れてると言う軽率な気持ちで相棒に乗っていました。
本当に軽率です、ですが相棒は元気に「大丈夫!大丈夫!」と語りかけてくるような位ピンピンしてたんですね、僕は上半身左側全部真っ赤に染まっていたんですがwww
そこから修理に出して、1ヶ月後......また事故です。
今回は冗談抜きで不味かった...同じ峠を夜に走行中、崖に転落したんですよね。
草むらに入って、「不味い!」って思った瞬間に、必死で握っていたバイクのハンドルが僕の頭上に来たんです。
お察しのいい方なら状況わかると思いますが、ガードレールに直撃→僕投げ飛ばされる→状況が分からない僕はハンドルを握ったまま「へ?」ってなる→僕だけ空中2回転で崖に転落です。w
相当な勢いで飛ばされたので全く訳が分からなかったんですが、僕は僕の体よりも相棒が壊れるのが嫌だったので、空中2回転後、崖に落ちながら這い登る形で道路に着きました「何故か体は無傷」でした。
バイクを見ると無残にも白煙を上げながらガードレールによりかかる形で倒れていました。「心からごめん」と相棒に謝りました。
当然自走不可なので、レッカー車を呼ぶ事になったのですが、色々曲がったり割れたり漏れてたりしてる相棒の隣で、悲しんでました。(山奥街灯なしの真夜中で4時間は精神的にも詰められました。w)
そこから相棒をまた修理するんですが、「僕の体格」にあっていない事に気づかされました。「君と僕は走る相性が悪すぎるよ」と語りかけられた様でした。
そこから必死に考え、相棒には度々謝りながら側面の外装や内装をゴリゴリ削り...マフラーやハンドル、見た目も全て僕に合わせてもらいました。
その時は前文にもあるように必死に考えて相棒を眺めながらいろんな所に手を入れたので、当然「相棒」も「僕の体」もボロボロになりながら、なんとか「僕と相棒が人馬一体」になるポイントに辿り付きました、その時は本当に嬉しくて楽しくて…、サーキットにも行きました、バイク仲間とツーリング動画も出しました、カスタムコンテストにも参加させて頂きました。
1000・10000・50000・90000キロとどんどん走行が増えていき、5年に差し掛かる所で「違う相棒」に僕は惹かれてしまいました。
2020年発売の「ZX-25R」です、バイク界隈ではザワツキが止まらないくらいの衝撃的作品...
僕は凄く悩みました、最後の事故から約4年半「あのバイクはツバサのだ!」「かっこいい!」「なんでそのバイクでそんなに早く走れるの?」など、沢山の嬉しい言葉を一緒に味わえた相棒を手放すのは嫌だと思いました。
ですが...車と違い、バイクはエンジンの回転が約倍ほど回します。
当然9万キロという数字は車で言う18万キロ相当乗り回した物。
人で言うと「おばあちゃん」です。(あ、気持ち悪がらないでくださいね、僕の相棒は女の子と勝手に思っていますw)
僕が乗るにはもう限界かもしれないと思ったときに、このninja400が欲しいという子が現れました、もう一人の相棒のpuuuuuですw(説明すると婚約者ですw)
この子なら大切に乗ってもらえるし、いつでもツーリングに出かけれる、「相棒」と「新しい相棒」と「婚約者」と。最高じゃないですか?
そこで僕はハンコを押して「新しい相棒」を迎え入れる準備をしました。
「また、あのドキドキが来る」と思うと楽しくて仕方ありません。
しばらく僕が乗れなくなるけど、ちゃんとメンテするからねと相棒に心で伝えて、最後、ラストランをしたいと思い、色々思い出のある「いつもの峠」(笑)に行くことにしました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここからです。
早速走り出した僕と相棒は長いストレートの道に出ました。
いつもと変わらず、いつも通りに、安全に楽しく「最後」走ろうと...
「ボスッ」と変な音が聞こえ回転数が半分以下に、焦る僕。
「どうした?新しい相棒に嫉妬ですかー?w」みたいに思いながら、まぁ故障ならいつもお世話になってるショップに持っていこうと思い連絡を入れ再度走り直し。
「ボスッ、ボスッ、カンッ、カンッ」
嫌な音が凄くします、ここで緊急事態だと慌てました。この音は不味い音...
「ボンッ!!!」
急に動かなくなり、4年半ぶりのレッカーでいつものショップに到着。
この時の僕は正直「放心状態」でした、まさか動かなくなるとは、まさか昨日まで元気に走ってた相棒が、走ることを止めるなんて...
多分元気なかったでしょうね、周りからも酷く心配されました。
でも切り替えないと生活できないのでw頑張って切り替えてショップの連絡を待つことにしました!
「きっと機嫌損ねて点火できなくなったんだろう!パーツ変えたらまた機嫌良くして走ってくれる!」
そう思っていました。
現実は違いました、「エンジンの中はプラグがただれ、ピストンは抉れ、シリンダーも抉れ」
ぶっちゃけこんな壊れ方していたら「直前」まで、まともに走れるわけありません。いきなりそんなことになれば最悪「エンジン破裂」「急に止まるタイヤ」「投げ飛ばされる僕」です、死にます。
最後まで守ってくれてたんですよ…相棒は...
「新しい相棒はすぐ来るから、もう大丈夫だよ、私少し疲れたから休むね」
そう言っていたのかもしれない。
ショップから連絡が来た時は「虚無感」「最後に相棒と元気よく走れなかった後悔」でした。
夜はpuuuuuに黙って泣きました。
明日は「最後」の「僕を5年支えてくれた」「相棒」を見届けに行きます。
「今までありがとう」「しんどい時もつらい時も楽しい時も一緒に過ごせて良かった」と心から伝えたいと思います。
「まだ伝えれるんです。気持ちは届くんです。」
普段僕はpuuuuuにずっと「弔う気持ちは大切にしなさい。」と耳タコの様に言ってきました。
今日は、puuuuuから言われました。一本取られましたね...w
――――――――――――――――――――――――――――――――――
いつもの通り、最後に一言皆さんに伝えたいことがあります。
「今までありがとう」「今までごめんね」「幸せだったよ」
この三つは「過去形」の言葉です。
あなたはあなたの周りに「過去形」で「最後」に伝えますか?
僕は何回も「最後」まで言えませんでした。
「僕の場合、その相手はもうこの世界にはいない」から
「今」それを周りに「現在進行形」で伝えるべきなのは今見てる「あなた」
・それをせずに後悔を残すのも「あなた」
・今これを周りに伝えれるのも「あなた」
今すぐに目を閉じてこの二つを選択してください。
「これの記事を見ている「あなた」の心が幸せになれますように」
サポート頂けると幸いです!記事を見て少しでもあなたの心が楽になるように支えになります!