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X(Twitter)やめる

朝起きてまずXを見る。
お昼ご飯後にXを見る。
仕事後、だらだらとXを見、夜寝る前にまた見る。

この生活を何年やっているだろう?
携帯を始めて持った時はモバゲー、そして前略プロフ、mixiになり、たしか高3くらいからTwitterになったような気がする。
社会人になりネットで繋がるリア友を整理し今は2人の友人としかXで繋がっていない。
社会人になったタイミングで、もう今後二度と会わないであろう知人の近況を知ったり知られたりするのが何となく気持ち悪く、整理した。そしたらスッキリした。

じゃあそんな知人もいないXで何を見ているのかというと、オススメ欄。
あとはなんかおいしそうなものを食べている人とか、素敵なものを作る人とか、文章が素敵な人とかリストに入れているのでそれをダラダラ見。
2人の友人たちは基本呟かないので99.5%くらい、な~んにも知らない会ったこともない他人の投稿をただただ見ている。

他人の色恋沙汰、他人のダイエット論、他人の成功論、病気や健康の話。
あまりにもお腹が痛くて、「腹痛」とXで検索すると「ガンだった」とか「倒れて病院に運ばれた」とか普通に出てくる。小さな不安が大きな不安になる。
ネットの友人でもなく、オススメ欄に出てきた今よく見られているただの他人の投稿。
匿名のSNSは、自分の本音を書きやすい。1つの投稿が重い。その割に短文なので、結果どうなったのか/どう動いたのか とか詳細は基本書かれない。

Xのおかげで、いい情報を知れたこともある。
価値観のアプデに繋がったことも多々ある。
でも、私が今知らなくてもいいことを日々意味もなく吸収しているし、Xのせいで1だった不安が10くらいに膨れ上がってる気さえする。

昨今話題の気象病だが、雨の日にみんな頭が痛い、体調が悪いと呟く。
それをなんとなく見ていた私も、なんだか雨の日に頭が痛い気がしてくることが多くなった。そしてXで「気象病」と検索し、主語デカ投稿に振り回されている。典型的な“病は気から”に陥りやすいタイプの人間だ。
「私の気持ち」がXから吸収した他人の気持ちと混ざってどんどん薄まってる気がする。Xのせいでいらんことばかり考えてる気がする。勝手に不安になってる気がする。

昨日の夜、急にそんなことを思い立ってXと離れたくなってしまった。

私にはメリットよりデメリットの方がはるかに大きく感じているからX断ちをしようと思う。

・知りたいことはGoogle検索をして、情報元のしっかりしているサイトから学んだり本を読んだりして吸収する。
・体調不良はとっとと病院。
・価値観のアップデートはPodcastや本から得る。
・いろんな人の生活を知るのはnoteからでいい。
・ニュースは朝のTVで知る。もっと詳しく知りたければ、これまた検索して学ぶこととする。
・instagramは自分にとって今のところデメリットがほぼないので、ほどほどに見る。
・YouTubeは好きなゲーム実況者の動画を見るのが私の至高の時なので普通に見ます。
・Xに費やしていた時間はKindle読んだり見たかったアニメ見る。あとあつ森1からやりたいな…
・仕事用のXは使う。が、オススメ欄をボーッと見ることはしない。

しばらくこれでやっていこうと思う。


小学生の頃、初めて家にPCが来てそこからインターネットが大好きだった。
当時「りぼん」を読んでいた私は、りぼんの部屋という掲示板によく書き込みしていた。
自分より少し上の小学生のお姉さんと交流をし、文通もしたことがある。
それからお絵かき掲示板に行き、絵の楽しさを知った。上手い人に純粋に憧れた。
ホームページやブログのカスタマイズに熱中した。
他にも親友とは学校終わってオンラインゲームで会ったり、とっても楽しかった。インターネットが本当に本当に大好きだった。
今の自分の仕事にもつながっているし、世界の広さを教えてくれたのは確実にインターネットだ。


でも、今のインターネットはあまりにも身近すぎる。他人との距離がめちゃくちゃ近く感じる。情報も常に取捨選択しなければいけないほど多い。
1スクロールで数十個の投稿が流れてくる。脳が疲れる、目が疲れる。
自分自身で抑えていかないと、他人の情報に踊らされやすい私は悪いものばかり吸収してどんどんもろい人間に変わってしまいそうだと怖くなった。

時代は変わるし、昔には戻れない。
ガラゲーとWindowsXPにはもう戻れないけれど、本当の意味で私らしく生きていくために、やれそうなことを今はただやってみようと思う。

そんなりぼんの部屋に残っていた、PCで描いた初めての絵。
ただただみんな褒めてくれて、大好きな場所だった。20年前…


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