見出し画像

ストレスコントロールと操体の実践!ガンになりやすい体質(心の特性)を修正しよう。

ストレスがガンの要因になるというのはよく聞く話だ。私の母の家系はガン家系で、身近なところで見ていても、ガンになった親族、やはりストレスが要因のひとつになっているのだなというのは感じる。私の母(乳がん)と私の性格はよく似ているので気を付けないといけない。

いわゆる「タイプC症候群」というやつだ。

多くのがんサバイバー(がんからの生還者)の意見をまとめると、食養生も大事なんだけど、それと同じほど心の持ち方もかなり大事だと思う。まだまだ、ストレスコントロールはうまくないんだけど、私なりに、操体の実践を通じて学んだ方法をまとめてみた。

ダラダラ続くストレスが危険

大きなストレスがガンの原因になるわけではない。もっと小さくダラダラと続くような、慢性的なストレスのほうが身体には影響を及ぼすのだ。良いことも、悪いことも、人間って慣れてくるから、だんだんストレスを過小評価するようになる。具合が悪い状態を無視するようになるようになる。食事や飲酒でストレスをごまかそうとすることもある。

食事も、飲酒も、ストレスそのものをどこかにやるわけではないので、結局はどこかで限度が来て、精算をしなければならなくなるのが怖いところだ。人間の心には容量があって、そのまま、無限にストレスを許容することは出来ない。これが、ガンという形、何かの病気という形で噴出することがあると覚えておこう。

「やっかいなのは、辛うじて我慢できる程度のストレス負荷。そういった嫌な負荷が、長くダラダラと慢性的に続くことによって、半ば慣れてしまい、大切なストレスセンサーである「嫌」という感覚も麻痺してしまいます。そうなると、ますます負荷は意識されなくなり、心身が受けるダメージは気づかないうちにとても大きくなってしまうのです。」(171)

「がん患者さんにおけるデータですが、いわゆる「いい人」は長生きできない傾向があります。・・・自分の意見を言わなければ、周りと衝突することもなく、精神衛生上よさそうに見えますが、実はストレス負荷が大きく、心身への負担は思ったよりも大きいのです。基本的に、自分の意見と他人の意見がまったく同じであることはほとんどありません。したがって、常に自分の意見を抑えていることは、慢性的にストレス負荷がのしかかり続けてることになるのです。」(172)

9割の病気は自分で治せる 中経文庫 岡本裕

これは自慢ではなく、悲しむべきことなんだけど、私はよく「いい人」と言われる。誰に対しても「いい人」であろうとするのは、結局は「いつも」自分を曲げているということなので、自分自身にはストレスがたまっているのを感じる。「いつでも、誰にとっても、いい人」なんてありえないので・・・。

こういうところにも、身体を病ませる要因があることを知ろう。岡本氏の指摘するように「嫌」というセンサーの声を「正直に」ありのままに、聞くところからが始まりだ。じゃあ、どうしたら良いのか?というところまで踏み込んで考えたい。

「嫌」なことを減らしていく

まず大切なのは、嫌なことは嫌と言えるようになることだ。良い意味で、エゴをちゃんと出すこと。がんサバイバーだった祖母も、本当に楽観的な人で、もう少し気をつかったら?と言いたいくらいだったが、長生きするために、だんだん考え方を変えていったのかもしれない。

「憎まれっ子世に憚る」という言葉があるように、自己中心的で、好き勝手やっている人のほうが健康で「いい人」の方があっという間に逝ってしまうというのも事実だ。

「そこで、まずはストレスセンサーである「嫌」という正直な感覚を大切にしましょう。仕事や人間関係をはじめ、生き方そのものに対しても、自分は不当に我慢していないかと、折にふれ自問してみることが不可欠です。その自問の答えを真摯に受け止め、嫌な度合いをできるだけ少なくしていく工夫が、自己治癒力を高める有用な手立てとなります。」(P170)

「非常にシンプルですが「自分のやりたいことをやる」「嫌なことはできるだけやらないように工夫する」「あまり我慢をしない」、これが意外にも自己治癒力を高める強力な手段なのだということを、数多くのがん患者さんやがんサバイバーの方たちから教わりました。」(171)

「歳を重ねたら、逆に自分が圧力をかけてやるくらいの気持ちでいいのかもしれません。つまり、少々わがままに、自己中心的に生きたほうがいいということです。確かにそういうがん患者さんほど、長生きをしています。」(173)

9割の病気は自分で治せる 中経文庫 岡本裕

なかなか、対人関係のなかで、自分の言いたいことを言うのは簡単ではないけれど、ちょっとずつ自分を大事にするところから取り組みたい。誰に気兼ねするでもなく、やりたいことは、一日ごとにちゃんとやっていったほうがいいだろう。毎日、やりたいことができていれば、心の健康度が上がっていくはずだ。

ただ、仕事をしていると、現実的には「好きなことだけやろう!」と思っても、そうはいかないのが世の中だ。そもそも「じゃあ、嫌なことしない!」と実行できる人は少数派だ。そこで、実践したいのが、ストレスになる状況(環境)は変われなくても、その中で「快」を求める!ことだ。これは私が過去に整体を学んでいた時、操体法の実践を通して会得したことだ。

「楽」から「快」(気持ち良い)へ

操体法では「辛い・痛い動きの反対の動きが治る動き」であると教えている。右肩を上げるのが激痛である場合は、下げる動きが治す動きになる。首を前屈できないなら、後屈する動きが治る動きだ。痛みは、治る方向を教えている。

しかし、ここからが面白いところなんだけど、単に痛みから逃げているだけでは「気持ち良い」という「快」はない。それは苦痛から逃げているだけで、結局、「快」じゃないのだ。「楽」なんだけど。そして、ただ、自分が「楽」というだけでは「治る」ことはない。

一歩進んで「快」を求めるために「痛み」に向き合う必要がある。右肩を上げるのが痛いのであれば、あえて右肩をまっすぐにあげる動きをしていく。うわっ痛い!と思うか、思わないかのきわどい位置で、ゆっくり身体を動かし痛みを回避する。肩は下げるのではなく、上げ続ける。ストレス負荷を積極的に自分にかけていくのだ。

その中に一方向、ただ痛みを避ける動きではなく「快」につながる動きがあるはずだ。この方向は基本的に「痛み」の方向と似ている。この感覚が分かればシメたものだ。小さな「快」を探し続けて、痛みにチャレンジし続ける。グングンと身体が「快」を求めて、治しをつけていくことが分かってくるはずだ。

ちょっと専門的な話で文章ではわかりづらいけど、自分で経験するとすぐに分かるはずだ。

どんな環境の中でも「快」を求める

私が操体で学んだことをストレスコントロールに応用すると「辛い」と感じる局面から簡単に逃れないこと(とくにチャレンジしないこと)はオススメできない。その状況の中で「痛み」を感じる方向と並列して「快」につながる方向があるはずだからだ。実は「痛み」と「快」は方向は同じなのだ。「イタ気持ちい」って言葉があるように。

いつも、同僚とぶつかる、言い合うという悩みがあるとする。では、職場をやめよう、その人とは話をしないようにしよう、これは、当座の痛み・嫌な感情は楽になるかもしれないけど、やがて、その種の問題を一つも越えられなくなってしまう。人間って順応するので。言い換えるとストレス耐性がいっそう弱くなる。どこに行っても人間関係でつまずき、逃げ続ける人になってしまえば、最終的には「快」ではない。(「楽」だけど。)

こういう時こそ、その環境の中で、積極的に「快」を求めるべきタイミングだ。その状況の中で、その同僚とどのように折り合っていけるか、どうしたら自分にストレスをかけずにコミュニケーションができるかを探ることだ。おそらく、アサーショントレーニングなんかが、とても役立つはず。

もし、職場での人間関係に、小さな変化を起こすことができれば、それは次から次へと、大きな「快」を求める動きへと導いてくれる。これは、単に「嫌」なことをやめるだけでは、見つけられなかった心地よさなのだ。

まとめ

ストレスがガンの要因であるというのは事実だと思う。しかし、単に「嫌」なことをやめるだけ、「いい人」をやめるだけでは、本当にストレスを取り除くことはできないはず。多くのストレス・コントロールの本が、ただ当座のストレスを取り除くことだけに焦点を絞っているが「いや~。それだけじゃないんだよね」と実は思っている。

この知識を与えてくれたのは、私の場合は操体。実際に身体を動かして実感できたことなので、これこそ「身体知」というべきものじゃないかなと感じる。なんだかまとまらなくなっているけど、操体の知恵は、未病を治すのに絶対役立つので広く分かちあっていきたい。

操体の本なら、今さんの本がおすすめ。単なる運動法や整体法とは異なる、操体の奥深さを感じる本だ。

#ストレス #ストレスコントロール #がん #操体 #慢性的なストレス  

大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq